今回は二本の西部劇映画の傑作を取り上げます。西部劇というのは、定義は必ずしも明確ではありませんが、アメリカ合衆国に独特の映画ジャンルで、主として19世紀後半の西部開拓時代のアメリカ西部を舞台にした映画です。
アメリカ合衆国にとって19世紀という時代は、その領土を拡大して広大な土地と資源を獲得するとともに、民主的な共和制を確立して近代国家としての体制を整えた時期です。経済も飛躍的に発展し、国際社会では列強の一員となっていきます。その中で西部開拓時代がどのような位置づけになるのか、19世紀前半からのアメリカ合衆国の歴史を見ていきましょう。
◎歴史的背景 19世紀前半のアメリカ
18世紀末から19世紀はじめ、ヨーロッパではフランス革命に続き、ナポレオンがヨーロッパの各地を征服します。ナポレオン没落後はウィーン会議が開かれるなど動乱の時代です。ナポレオンの大陸封鎖令に対してイギリスが逆封鎖をしたため、アメリカはヨーロッパとの貿易を阻害され大きな影響を受けます。そこから米英戦争が起きます。これが1812年、第四代マディソン大統領の時代です。この戦争によってアメリカはヨーロッパからの工業製品の輸入が途絶えたため、アメリカ国内で綿工業をはじめ工業化が促進されます。結果としてアメリカはイギリスへの依存から経済的な自立が進みます。アメリカでの産業革命も進みます。特にホイットニーの綿繰機の発明などにより南部での綿花の増産が進み、黒人の奴隷制が定着します。
アメリカは政治面でもヨーロッパから距離をおきます。1823年、第五代モンロー大統領によるモンロー宣言(教書)により、アメリカ大陸とヨーロッパとの相互不干渉を提唱します。これはラテンアメリカの独立運動に対するヨーロッパからの干渉を排除し独立を間接的に支援するとともに、アラスカからアメリカ大陸に進出しようとしていたロシアを牽制するものでした。この孤立主義がこれ以降のアメリカの外交の基本原則となります。
以後、アメリカは19世紀を通して独自の発展を遂げることになります。
1829年に第七代ジャクソン大統領が就任します。初の西部開拓民出身の大統領ですが、この時代には「ジャクソニアン・デモクラシー」と呼ばれ民主主義が大きく進展します。選挙権の財産制限が撤廃され、全州ですべての白人男性の普通選挙が実現します。しかし同時期に「先住民強制移住法」が成立し、先住民に対しミシシッピー以西への移住を強制します。これ以降西部開拓が本格化することになります。
18世紀末にイギリスからの独立戦争を戦っていたころのアメリカは大西洋側の限られた地域だけでしたが、19世紀の前半、アメリカは次々と西方に領土を拡大していき、19世紀半ばには太平洋側に到達する大陸国家となりました。
アメリカは1783年のパリ条約で独立を達成しました。独立戦争を戦った東部13州が独立した主権国家となります。ミシシッピー川以東のルイジアナもイギリスから獲得してアメリカ合衆国の領土となります。
その後諸外国から北アメリカ大陸の領土を買収または併合し、先住民の土地を奪いつつ開拓を進めます。そして広大な西部への拡大と人口の移動と並行して近代国家として発展する基盤を整えていきます。 新しい領土には、東海岸から移ってきたアメリカ人やヨーロッパからの新たな移民が流入し、人口が急激に増加します。そして大陸西部の未開拓地域の開発が急速に進められました。これが西部開拓あるいはフロンティアの西漸(西漸運動)と呼ばれています。
フロンティアとは、開拓の進むアメリカの最前線(西端)に位置する辺境で、開拓地と未開拓地の境界地域を指します。この西漸運動を通してアメリカ人独特の考え方や行動様式、いわばアメリカ人の国民性が確立したとも言われています。独立独歩で自らの人生を切り開いていくたくましさを美徳とするものです。よく言われる「フロンティア精神(スピリット)」とは、西部開拓において未知・未開の地の開拓に挑む自立的・行動的な精神に由来するものです。
United States federal government (en:User:pink and White converted it from JPEG to PNG and retouched it) – National Atlas of the United States [1], パブリック・ドメイン, リンクによる
上の図はアメリカの領土の拡大のプロセスを示しています。概略は以下の通りです。
1803年にナポレオン1世時代のフランスからミシシッピー川以西のルイジアナを買収し、領土は倍増します。 1819年にはスペインからフロリダを購入します。
テキサスはスペインの領土でしたがメキシコの独立後、その領土となります。ここにアメリカ系の移民が多数入植し、独立してテキサス共和国になります。1845年にはそれをアメリカが併合しました。これを契機に米墨(アメリカ・メキシコ)戦争が勃発し、勝利したアメリカは1848年にカリフォルニアも併合しました。カリフォルニアではアメリカの領土となった直後に金鉱が発見され、「ゴールドラッシュ」が始まります。一攫千金を夢見て金を掘り当てようとする男たち(フォーティ・ナイナーズ)をはじめ、あらゆる職業の人々がおしかけて開拓は一気に進み人口も急増しました。
1846年にはイギリスからオレゴンを獲得し、1867年にはロシア領であったアラスカを買収します。 新しい領土は、進取の精神に富む植民者によって開拓されます。19世紀のアメリカは海外植民地ではなく、豊かな国内市場を開拓することによって産業の発展を進めていきました。
しかしアメリカが獲得した地域は、実際は先住民の居住地でした。アメリカの西への拡大は、先住民の悲劇と表裏一体でした。先住民は土地を奪われ、従わなければ武力で弾圧されました。アメリカ人は、それを「マニフェスト・ディスティニー」(明白な天命)と呼び、開拓により未開の地に文明を広めることが神から与えられた使命だと主張して正当化しました。1830年のインディアン強制移住法の成立以降、多くの先住民が西へ移動していきました。先住民の抵抗も激化しますが、結局は白人による支配が完了します。
こうして19世紀半ばにはアメリカの領土は大陸の西海岸(太平洋岸)に到達し、アメリカは大国になります。しかしこの時期のアメリカは国内の対立という大きな試練に直面していました。
◎歴史的背景 南北戦争
アメリカ合衆国内では産業構造の違いから南北の対立が激しくなっていきます。南部は、黒人奴隷による綿花やタバコの大農場制度(プランテーション)が産業の中心であり、イギリスへの綿花の輸出に依存していたため自由貿易を主張します。そして労働力として黒人奴隷が不可欠でしたので、奴隷制の維持を強く求めました。北部の支配下に入ることを拒み、州の自治権の拡大を求める反連邦主義(州権主義)でした。
一方北部では、繊維、機械、鉄鋼など商工業が発達し、自立的な経済成長を遂げます。イギリス製品との競争から自国産業を守る保護貿易(保護関税)を求めました。産業の発展のためには強力な中央政府の樹立が必要と考え、連邦主義でした。奴隷制については、人道上の理由とともに、工業労働者として自由な労働力を確保し購買力を高めたいという観点から、廃止もしくは奴隷制の拡大への反対を主張しました。
西部開拓が進んで人口が増加すれば州に昇格できますが、新しくできる州で奴隷制を認めるかどうかで北部と南部の対立が顕在化します。対立が深刻化するなか、1860年に北部出身のリンカーンが第16代大統領に当選します。リンカーンは連邦の統一維持を最優先に考える連邦主義者であり、奴隷制の拡大に反対する立場でした。これに対し南部の諸州は連邦を脱退してリッチモンドを首都に「アメリカ連合国」を結成します。大統領はジェファーソン・デイヴィスという人物でした。リンカーンは国家の分裂の回避のため復帰を働きかけますが、結局は南北戦争が勃発しました。
次の図で青が北部(アメリカ合衆国)自由諸州、水色が合衆国に留まった奴隷諸州、赤が南部(アメリカ連合国)奴隷諸州、白は準州です。
ちなみに戦争でのアメリカ人の死者数は、第一次世界大戦で11万人、第二次世界大戦で32万人に対し、南北戦争では62万人と言われており、この戦争はまさにアメリカ合衆国にとって最大の戦争でした。
当初はリー将軍が指揮する南軍が優位でしたが、リンカーンは北軍が戦争を有利に展開するためにいくつかの政策を講じます。1862年にホームステッド法を制定します。これは、西部に入植し5年間開拓に携わった成年者に160エーカー(約20万坪)の土地を無償で与えるというものです。これにより西部の開拓が進むとともに、西部の農民が北軍の支持にまわりました。
リンカーンはさらに1863年に奴隷解放宣言をして戦争の大義を明確にします。国内外の世論を味方につけ、北部の結束を固めるとともに、既に奴隷制を廃止しているイギリスなどヨーロッパ諸国の干渉を防ぎました。
工業地帯である北部は経済力で優り、グラント将軍が指揮する北軍が攻勢に転じ、次第に挽回します。最大の激戦であったゲティスバーグの戦いで北軍が大勝し、1865年南部の首都リッチモンドが陥落し、北軍の勝利で終わります。
南北戦争については、不朽の名作「風と共に去りぬ」をはじめ多くの映画が作られています。
この後アメリカは19世紀後半を迎えますが、この時代が多くの西部劇映画の舞台となります。
◎歴史的背景 19世紀後半のアメリカ
南北戦争後は国内が再統一され、北部を中心に工業大国への道を歩み、アメリカは繁栄に向かいます。第二次産業革命はアメリカが先進国となり、鉄鋼、化学、石油、電気などの重化学工業の技術が大幅に進歩します。工業は飛躍的に発展し、19世紀末までにはイギリスを抜いて工業生産が世界一になります。
急速な工業の発展により労働力が不足しますが、移民の大量流入によりそれを補いました。南北戦争前はアングロサクソン系を中心に西欧や北欧からの移民(旧移民)が中心でしたが、戦後はイタリア、ロシアなどの南欧や東欧からの移民(新移民)が増加し、アメリカはますます他人種国家となります。また、中国などアジアからの移民も増加しますが、白人労働者の仕事を奪うとして社会的軋轢も生じ、1882年には中国人労働者移民排斥法が制定されるまでになりました。
黒人奴隷制については憲法修正第13条により正式に廃止されますが、実質的には黒人の地位は変わりませんでした。特に南部では州法により様々な制約が加えられ、投票権は制限されました。シェアクロッパー制という制度が残り、黒人は奴隷からは解放されても小作人の立場にとどまります。高額の小作料に苦しみ、経済的にも白人に従属します。黒人専用の席や部屋を設けるジム・クロウ制度という人種隔離政策もとられ、黒人差別は根強く残りました。
南北戦争後はアメリカ西部の開拓が進みます。市場は拡大し西部の人口は急増します。1869年には最初の大陸横断鉄道が完成し、東部の工業地帯と開発が進む西部の市場が結合されます。
工業の発達に伴い自由競争を通して企業規模の拡大が進み、1880年代には独占資本の成長が進みました。ロックフェラーを創業者とするスタンダード石油をはじめ、金融のモルガン、鉄鋼のカーネギーなどの大財閥が生まれ、富が集中するとともに政治にも影響力を行使します。一方では国内での経済的格差は拡大し、不満をもつ農民や労働者の運動もさかんになります。1886年には熟練労働者の職業別連合組織であるアメリカ労働総同盟(AFL)が結成され、労働条件の改善を求めるようになりました。
西部開拓の進展により1890年前後にはフロンティアが消滅し、以降アメリカは海外進出に乗り出すことになります。
この時代を舞台として誕生したのがアメリカ映画の主要なジャンルの一つである西部劇映画です。
■西部劇
西部劇とは19世紀後半のアメリカ合衆国、特に1860年代後半以降の南北戦争後の西部開拓時代の西部の町や未開拓地を舞台にした映画、テレビドラマ、小説などです。ガンマン、保安官、カウボーイ、開拓民、先住民(インディアン)、酒場女などが登場しますが、開拓者魂をもつ白人が主人公となり無法者や先住民と対決するというパターンが多く見られます、実在の保安官やガンマンが登場する場合もあります。
厳しい自然の中で苦闘しながら逞しく生きてきた開拓者の物語が多くのアメリカ人に愛されました。アメリカ人で理想とされる気質、すなわち新興の気に満ちたパイオニア精神、独立独歩のフロンティア精神が人気を呼んだ西部劇の根底にあります。
また、果てしない荒野などの西部の大自然の風景とともに、銃の撃ち合いや馬での追跡などのアクションがこのジャンルの魅力となりました。拳銃さばきや乗馬を得意とする強くて勇敢で風格のあるヒーローが町の平和や男の意地をかけて戦う姿は、アメリカンドリームそを体現したものです。男女の甘いロマンスや家族の絆を詩情豊かに描いた作品も多くあります。
西部劇は、西部開拓という独自の歴史をもつアメリカならではのジャンルと言えます。アメリカ人の郷愁を呼び起こすものとして人気を博し、20世紀前半のアメリカ映画の隆盛期に主要なジャンルの一つとして成熟しました。多くの作品が作られ、「駅馬車」(1939年ジョン・フォード監督)等映画史に残る名作と呼ばれるものもあります。このジャンルからジョン・フォードなどの名監督とジョン・ウェインやゲーリー・クーパーなどのスターが誕生しました。
第二次大戦後には西部劇の黄金時代となり、「真昼の決闘」(1952年フレッド・ジンネマン監督)、「シェーン」(1953年ジョージ・スティーヴンス監督)等多くの名作が作られました。また、活劇や勧善懲悪の物語だけではなく、先住民とのかかわりを含め、西部開拓時代をよりリアルに描いた作品も生まれ、西部劇の幅が広がっていきました。しかし粗製濫造といった面もあり、中には暴力を美化するような質の低いものもあったため1960年代からは激減しました。
それと入れ替わるように、1960年代から1970年代にかけて作られたイタリア製の西部劇が「マカロニ・ウエスタン」と呼ばれている作品群です。イタリアの映画製作者がスペインなどの荒野で撮影したもので、アメリカ製の西部劇以上に刺激が強く娯楽性を高めたものが多かったのですが、独特の魅力もあり本家のアメリカにも逆輸入されました。「荒野の用心棒」(1964年セルジオ・レオーネ監督)を初めとして世界中でヒットした作品も誕生しました。マカロニ・ウエスタンを一つのジャンルとして確立したのがセルジオ・レオーネです。そしてこのジャンルから生まれたスターが、ハリウッドからイタリアに渡って出演した当時若手俳優だったクリント・イーストウッドです。
このように西部劇は紆余曲折を辿りましたが、アメリカの発展の礎を築いた西部開拓時代へのノスタルジーをかきたてる面があり、今でも根強い人気があります。
西部劇映画には実に様々なタイプがあります。今回取り上げる2作品は、西部開拓時代の象徴ともいえる大陸横断鉄道の建設が物語の重要な背景となっています。
それではご紹介する一つ目の作品の「赤い河」です。西部劇の様々な要素が詰め込まれた傑作です。
■「赤い河」 映画の概要
・1948年アメリカ映画
・監督 ハワード・ホークス
・出演 ジョン・ウェイン、モンゴメリー・クリフト
■「赤い河」 あらすじ(ネタバレなし)
物語の始まりは1851年。開拓民のトーマス・ダンスンはアメリカ南部からカリフォルニアに向かう幌馬車隊と行動を共にしていましたが、テキサス州北部を通過した時に自分の牧場を造るのにふさわしい場所を見つけ、仲間のグルートとともに2頭の牛を連れて隊を離れます。その後、幌馬車隊がインディアンの襲撃を受けたことを知りますが、遠く離れていたため助けることができませんでした。そして牛を一頭だけ連れていた少年マシュウに出会います。少年は家族をインディアンに殺されましたが一人だけ生き残ったのでした。ダンソンはマシュウを養子にし、協力して広大な土地に自分の牧場を造ります。
それから物語は14年後の1865年に移ります。ダンソンは大牧場を築き上げていました。この間に南北戦争がありマシュウも動員されていましたが、戦争が終結しマシュウは逞しい若者となって帰って来ました。しかし一方では、南北戦争の影響で南部は荒廃し、ダンソンの牧場から牛を買う業者が減ったため、牧場は経営が苦しくなっていました。そこでダンソンは牛を売るために、サンタフェ・トレイルを通ってミズーリ州のセダリアまで1万頭の牛を運ぶ大規模なロング・ドライブの計画を立てます。もっと近くのカンザス州のアビリーンまで鉄道が開通したので、そちらを目指した方が安全だという意見もありましたが耳を貸しません。ダンソンはマシュウ、グルートや多くの牧童とともに1万頭の牛を連れて出発します。ミズーリ州までは何か月もかかります。途中、様々な障害が発生して道のりは険しく、ダンソンもカウボーイたちも次第に心が荒んできます。カウボーイたちはその後も目的地をアビリーンに変更しようと言いますが、頑固なダンソンは聞き入れず、次第にカウボーイたちの心が離れていきます。
物語の背景には、当時建設が進んでいた大陸横断鉄道の開通があります。
◎歴史的背景 大陸横断鉄道
アメリカで最初の旅客用の鉄道が営業したのは1830年です。その後西部への領土の拡大を追うようにして大陸を横断する鉄道の建設が進められました。南北戦争の頃までに、東海岸からネブラスカ州オマハまで到達していましたが、西海岸までの延伸を望む声は強く、南北戦争中の1862年リンカーン大統領の時代に「太平洋鉄道法」が制定されました。国が南北に分断される中、広大なアメリカを統一された連邦として維持するために大陸を東西に横断する鉄道が重視されました。
大陸横断鉄道は東からと西からの両方で建設が進められました。東側はネブラスカ州オマハを起点として西に向かうユニオン・パシフィック鉄道、西側はカリフォルニア州サクラメントを起点として東に向かうセントラル・パシフィック鉄道です。
鉄道の建設はいくつもの山脈や砂漠を横断し、インディアンの出没する地域も通過するなど多くの困難を伴いました。建設には西側では中国系の移民(苦力)、東側ではアイルランドからの移民が大量に参加して鉄道完成に貢献しました。1869年5月、東西から建設が進められてきた鉄道が接続し、当時のユタ準州のプロモントリーサミットで式典が行われました。これがアメリカで最初の大陸横断鉄道の開通です。大陸横断鉄道は他にもいくつかのルートで建設されました。
鉄道は西部開拓を進めるうえで交通手段として重要な役割を果たした。鉄道が開通すると線路の沿線には入植する人が増加し、町が造られました。また鉄道の開通は工業の発展の基盤となるとともに、市場の拡大、沿線の資源の開発や農業、牧畜の発展を促しました。西部の農村と東部の大都市を結び、農作物を大都市に供給するとともに、東部の工業地帯で生産された工業製品を農村に供給しました。大陸横断鉄道の開通により、北アメリカ全体の政治的、経済的な統一が進展しました。
さらには、アメリカ東海岸の諸都市からは、鉄道により太平洋岸に到達した後、蒸気船の活用によりアジアとも結ばれ、貿易や交流も促進されました。
映画「赤い河」では、開通した鉄道の駅を目指してカウボーイたちが牛を運びます。これをロング・ドライブといいます。この映画ではロング・ドライブの様々な苦難が描かれています。
◎歴史的背景 ロング・ドライブ
南北戦争後、アメリカ南部のテキサスなどの大平原では牛の放牧が広範囲で行われていました。一方、大陸横断鉄道の建設が進むのに伴い人口が増え、食肉加工業が発達しました。そこで放牧されていた牛の群れを仲介業者に売るために最寄りの鉄道駅がある町まで移送するということが行われました。これがロング・ドライブと言われています。牛はそこから鉄道の貨車に乗せられて人口増加により食肉需要が高まっている東部の工業地域やカリフォルニアの大市場に送られました。
ロング・ドライブではカウボーイ(牧童)などが牛の大群を未開拓の原野や牧草地を通って長距離にわたって追い立てて進みました。鉄道建設が進むのに伴い、多くのロング・ドライブが行われましたが、目的地は出荷駅となっている鉄道の駅で、この映画にもあるように、当初はテキサスから北上してミズーリ州のセダリアという駅に向かっていたようです。
その後カンザス・パシフィック鉄道がカンザス州のアビリーンまで開通し、ここもロング・ドライブの目的地になったようです。この映画では、出発地の牧場からはアビリーンの方が近くて安全なのですが、アビリーンまで鉄道が開通したことがはっきりとした情報になっていなかったため、どこに向かうかというのが登場人物たちの重要な対立点になっています。アビリーンまで鉄道が開通した後は、テキサスからアビリーンまで牛を輸送する「チザム・トレイル」というルートが開発されます。
ロング・ドライブは利益が非常に大きかったようですが、途中でインディアンの襲撃や盗賊の出現、牛の暴走などがあり大変困難な道程でした。1880年代になると、牛が放牧されていた平原も農地に転換され、ロング・ドライブも見られなくなりました。
■「赤い河」 映画のあれこれ
この映画は南北戦争に負けて南部が荒廃する中、たくましく生き抜こうとする人々の物語であり、まさに骨太の男のドラマです。緊張感みなぎる展開ですがほのぼのとした場面などもあり、多くの人が心を打たれました。
監督は様々なジャンルで傑作を撮った娯楽映画の巨匠ハワード・ホークスです。犯罪映画「暗黒街の顔役」、西部劇「リオ・ブラボー」、冒険活劇「脱出」、ミュージカル・コメディ「紳士は金髪がお好き」など多岐にわたる多くの傑作を生み出しましたが、当時は通俗的な娯楽専門のB級映画監督としか見られていませんでした。アカデミー賞の受賞どころかノミネートも1度しかありませんでしたが、1975年、長年の功績を讃えられ79歳でアカデミー名誉賞を授与されました。
この映画に登場するダンソンとマシューの二人は、血のつながらない親子であり、師弟関係でもあります。お互いに強い情愛を持ちリスペクトもありますが、ともに強い意志を持っているが故に対立していきます。その二人の関係が物語の中心になりますが、主役二人の好演もあり、とても印象深い作品となりました。
主人公ダンソンを演じたのはアメリカ映画史上の大スターの一人であるジョン・ウェインです。ジョン・ウェインは男らしく頼もしい主人公を演じることが多く、この作品で演じたダンソンも筋金入りの西部の男ですが、決してヒーローとはいえない人物です。厳格で信念を曲げないリーダーとしての力強さとともに、独善的で頑迷という欠点もあわせ持つ癖のある人物像ですが、ウェインはさすがの名演技です。
もう一人の主人公マシュウを演じたのはモンゴメリー・クリフトで、この作品が映画デビュー作です。二枚目スターとして多くの作品に出演しています。名作として名高い「陽のあたる場所」、「地上より永遠に」などで4回アカデミー賞にノミネートされました。この作品では若々しく溌剌としてかつ人間味もある演技で、ジョン・ウェインとのバランスが絶妙です。
この映画は一種のロードムービーで、道のりは波乱万丈です。映像も臨場感があふれ、牛の大群が移動する様は圧巻です。ロング・ドライブの出発の場面では、牛の大群をカメラの横移動で写し、ダンソンのかけ声に応じてマシュウをはじめカウボーイたちがそれぞれ叫びますが、映画史上の名場面の一つとされています。また、夜中の牛の群れの暴走の場面は迫力満点です。映画のタイトルにもなっているレッド・リバーという河まで来て牛の大群に河を渡らせますが、この場面も壮観です。
開拓時代の過酷な生活ぶりもリアルに描かれています。カウボーイたちはインディアンや盗賊に襲われる危険や自然の脅威にさらされながら、牛の大群を引き連れて長距離を移動します。険しい地形や食糧不足に悩まされ、野営が続いて疲労もたまります。カウボーイたちの苦闘と彼らの人間模様がこの作品を忘れがたいものにしています。
ご紹介する二つ目の作品は「ウエスタン」です。日本では1969年に短縮版が公開されましたが、2019年に完全版が公開されるに際し、原題に近い「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」という邦題で公開されました。フロンティアが消滅しつつあった西部開拓時代末期の様々な人間模様を活写した大作群像劇です。この作品では鉄道が西部開拓時代の終わりと新しい時代の到来を告げる象徴的存在として登場します。
■「ウエスタン」 映画の概要
・1968年イタリア・アメリカ合作映画
・監督 セルジオ・レオーネ
・出演 クラウディア・カルディナーレ、ヘンリー・フォンダ、ジェイソン・ロバーズ、
チャールズ・ブロンソン
■「ウエスタン」 あらすじ(ネタバレなし)
舞台は西部のアリゾナ州にある鉄道の駅。駅のホームで屈強の男3人が何者かを待ちます。そこに1人の男がハーモニカを吹きながら現れます。
一方、荒野の真ん中にあるスィート・ウォーターと名付けられた地域に建つ一軒家。そこでは開拓者のマクベインが子供たちと住んでいましたが、後妻としてニューオーリンズで高級娼婦だったジルを迎えることになり、その準備を進めていました。
しかし、そこに現れた冷酷非情なガンマンのフランクとその手下たちによって一家は皆殺しにされてしまいます。さらにフランクは現場に細工をして、それを山賊のシャイアン一味の仕業に見せかけます。フランクは鉄道事業者のモートンに雇われていました。モートンは鉄道の建設のために住民を土地から追い立てて安値で買い取ろうとしていました。殺されたマクベインは、鉄道の駅が出来て発展することが見込まれる土地を買って農場を造っていたのでした。開拓者の新妻になり安定した生活に入るはずだったジルは、一人残されて広大な土地の相続人となります。ジルは家族を皆殺しにされた復讐を誓い、新しい家族と住むはずだった西部の町で女一人で生きていく決意をします。そのジルの前に、山賊のシャイアンやハーモニカと呼ばれる流れ者が現れます。
鉄道が新たに開通することにより価値が急騰する土地の利権をめぐり、ジルの周囲の男たちの思惑が複雑に交錯します。
■「ウエスタン」 映画のあれこれ
マカロニ・ウエスタンの巨匠セルジオ・レオーネの作品ですが、この映画はイタリアとアメリカの合作映画です。レオーネはこの作品以前に「ドル箱三部作」(「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」)と呼ばれる3作を撮り世界的に有名になりましたが、この作品から新たに「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」が始まりました。新たな三部作は、それまでの娯楽性重視から方向性を大きく変え、レオーネ自身が憧れを抱いていたアメリカの歴史に挑戦し、西部開拓時代から近代のアメリカまでをドラマ性、叙情性豊かに描くというものでした。この作品はレオーネとしては西部劇の総決算であり、西部開拓時代の終焉を雄大なスケールで描いた一大叙事詩です。
「ウエスタン」は、当初アメリカをはじめ各国で短縮版が公開されましたが興行的にふるわず、作品としても低い評価しかなされませんでした。その後、年月の経過とともに再評価の機運が高まり、初公開から50年後の2019年に2時間45時間のオリジナル版が公開されるにいたって、その評価は確固たるものになります。制作当時、全盛期を過ぎて衰退しつつあったハリウッド製の西部劇への哀惜の念が込められているとも言われています。イタリア人のレオーネがアメリカへの敬愛の念を込めて作った作品です。アメリカの資本が入っており、マカロニ・ウエスタンとしては異色です。純正のハリウッド西部劇とも異なる独特の雰囲気がありますが、今では西部劇映画の金字塔とも言われています。
セルジオ・レオーネは、後続の多くの監督に影響を与えたと言われていますが、レオーネの弟子でもあり当時新鋭監督であったベルナルド・ベルトルッチが原案に参画し、映画の構想やストーリーを練ったということです。ベルトルッチ自身が「暗殺の森」で国際的に知られるようになる二~三年前のことです。
映画「ウエスタン」の描く時代は、映画の中の台詞から推察するに舞台はアメリカの南部であり、東部から太平洋側を目指して西に向かう鉄道の建設が進んでいます。南北戦争の傷跡が癒え、鉄道の建設に合わせてアメリカの経済が急速に発展していった時期であり、フロンティアがなくなっていく西部開拓時代の末期です。時代が変わりつつある中で様々な人物の生き様が描かれています。中でもそれまで西部開拓の中で華々しい存在だったガンマンたちが、近代文明の波に抗しきれずに時代から取り残されていく姿を哀愁を込めて描いています。開拓が進み町ができれば新しい時代の中心となるのはその町の企業であり、そこで働く人々です。ガンマンたちの出番は終わります。この映画に登場するフランク、シャィアン、ハーモニカという三人のガンマンは、多くの西部劇に登場してきたようなヒーローや悪漢ではなく、新しい時代が到来するなかで居場所を奪われつつある悲哀をどこかに漂わせながらもガンマンとしての精一杯の輝きを見せます。
俳優陣はとても豪華で、それぞれに見せ場が用意されています。ヘンリー・フォンダ、ジェイソン・ロバーズ、チャールズ・ブロンソンという3人のハリウッドスターが出演しています。特に良識のある善良な役ばかりを演じてきたヘンリー・フォンダが冷酷な悪役を演じたことでも話題になりました。フォンダが演じたフランクは鉄道会社の用心棒のような存在ですが、トップスターの貫禄十分に気持ちよさそうに演じています。
ジェイソン・ロバーズは後に2 年連続でアカデミー賞の助演男優賞を受賞する名優です。この映画で演じたシャイアンは山賊のボスですがどことなく愛嬌があり、とぼけた味わいが印象深いです。そして正体不明の流れ者ハーモニカを演じたのがチャールズ・ブロンソンです。野性的な風貌と独特の雰囲気で人気が高まり日本のCMにも登場しました。この作品ではニヒルでありながら滋味もある謎めいた存在感を出しています。
三人のハリウッドスターが出演する中で堂々の主役となったのが、ジルを演じたイタリア人女優クラウディア・カルディナーレです。野性味あふれる西部の女を演じ、画面に華やかな彩りを加えています。ガンマンたちが終わりゆく時代を象徴しているのに対し、ジルの姿は新しい時代をたくましく生きていこうとする存在として鮮烈です。
この映画では鉄道の開通により変貌していく大自然と西部の町が雄大なスケールで再現されています。様々な人が行き来し町が造られていく様子は、まさに新時代に向かうアメリカのエネルギーのようなものを感じさせます。西部の街並みのセットの造形が見事で荒野のロケーションもカメラワークも素晴らしいです。 全編に渡り緊張感のある重厚な語り口ですが、去りゆく時代のもの悲しさと新しい時代を迎える清新さも画面に醸し出されています。音楽は、レオーネ監督の盟友であり、ほとんどの作品の音楽を担当したエンニオ・モリコーネです。哀愁漂う素晴らしい音楽が郷愁を誘います。
なお、冒頭の14分間をどう思うかについては意見が分かれるようです。いかにも悪漢めいた3人の男が寂れた駅舎に現れ、無言で何かを待ち続けます。錆びた風車のきしむ音やハエの羽音が鳴り続け、張りつめた緊張感を高まる中、列車が到着します。男たちは誰も降りてこないと思い立ち去ろうとしますが、静寂を破るようにハーモニカの悲しい音色が聞こえてきます。この冒頭の場面を映画史に残るオープニングという人も多くいますが、一方では極めて退屈だという人もいるようです。見る人の感性によるようです。
◎その後のアメリカ
フロンティアの消滅の後、1890年代からは海外市場の確保を目指してアメリカの海外進出が本格化します。まずは太平洋と大西洋の中継地点となるカリブ海を重視します。1889年にはアメリカの主導でパン・アメリカ会議が開かれ、ラテンアメリカへの影響力を強めます。
19世紀末のマッキンリー大統領の時代に本格的な帝国主義外交を展開します。1898年にはスペインの植民地キューバでの反乱を契機にアメリカ・スペイン(米西)戦争を起こします。アメリカはこの戦争でキューバを実質的に支配下におきます。また、独立運動が起きていたスペインの植民地フィリピンを攻撃して植民地にします。これ以降フィリピンはアメリカの東アジア進出の拠点となります。
1898年にはハワイも併合します。
さらに中国大陸への進出を企てますが、中国市場では他国に遅れをとっていたことから、1899年に国務長官ジョン・ヘイが「門戸開放宣言」が出して参入を図ります。
■こちらもおすすめです。 西部開拓時代の鉄道が登場する映画
西部開拓時代を扱った映画は極めて多数にのぼります。その中には鉄道の建設がクローズアップされているものもありますので、最後にそれをいくつかご紹介します。
「アイアン・ホース」(1924年)は西部劇映画の巨匠ジョン・フォード監督の作品で、大陸横断鉄道の建設そのものをテーマに据えて、建設に伴う様々な苦労が描かれています。
「大平原」(1939年セシル・B・デミル監督)も大陸横断鉄道の建設の苦闘とそれにまつわる様々な人間ドラマが描かれ、記念すべき第1回カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞しています。
「八十日間世界一周」(1956年マイケル・アンダーソン監督)は、ジュール・ヴェルヌの冒険小説の映画化で、世界一周ツアーが物語の中心ですが、アメリカ大陸では当時開通したばかりの大陸横断鉄道が登場します。アカデミー賞の作品賞はじめ5部門を受賞しています。
最後は「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3」(1990年ロバート・ゼメキス監督)です。大ヒットシリーズ三部作の完結編ですが、前2作ではタイムマシンに乗って現在と未来を往復していたのに対し、この完結編では一気に百年前の1885年に時代が変わります。ハラハラドキドキのストーリーですが、その背景には鉄道が開通して駅が出来、町が発展していくさまが描かれています。