アメリカの禁酒法時代、舞台はニューヨークのユダヤ人街が広がるロウアー・イースト・サイドです。この街で育ち暗黒街でのし上がっていく若者たちの友情の物語です。イタリア製西部劇のブームを世界中で巻き起こしたセルジオ・レオーネ監督がアメリカという国への愛をこめて渾身の力で作り上げた代表作であり、遺作となりました。
厳しい環境におかれたユダヤ系移民の若者たちが、禁酒法下での酒の密売等で裏社会での栄光を目指します。彼らの生き様、そして友情と恋が生き生きと描かれています。物語のもう一つの軸は、老いた主人公が過去に向き合い、自分の人生を変えた謎を解き明かそうとします。40年余りにわたる壮大な物語です。
■映画の概要
・1984年アメリカ・イタリア合作映画
・監督 セルジオ・レオーネ
・出演 ロバート・デ・ニーロ、ジェームズ・ウッズ、エリザベス・マクガヴァン、
ジェニファー・コネリー
■あらすじ(ネタばれ無し)
この物語は、三つの時代で構成されています。
・主人公の少年期 :1920年代初頭
・主人公の青年期 :1920年代後半から1933年まで
・主人公の老年期 :1968年
【青年期】 : 真っ暗な寝室に女が入ってくる場面から始まります。部屋では男たちが待ち伏せをしています。男たちは女にヌードルスという男の居場所を追求しますが、女は答えません。男たちは女を撃ちます。男たちが追っているヌードルスがこの物語の主人公です。その頃ヌードルスは中国人の経営するアヘン窟にいます。電話の音が長く鳴り響き、それをきっかけにヌードルスは回想に入り込みます。三人の男の死体が記憶に浮かびます。
目覚めたヌードルスは友人のファット・モーの店に向かいます。待ち伏せをしていた男を撃ち殺してモーを助けます。ヌードルスはニューヨークから脱出して身を隠すために駅に向かいます。
【老年期】 : ヌードルスがニューヨークを去ってから35年後です。彼は心当たりのない招待状を受け取っていました。送り主を突き止めるため、久しぶりにニューヨークに戻ります。彼はファット・モーの店を訪れます。少年時代の記憶が蘇り、ヌードルスは遠い過去の思い出に浸ります。
【少年期】 : ユダヤ系移民の子であるヌードルスは貧しい家の生まれで、仲間たちと盗みなどをしています。ある日、酔っ払いから財布を抜き取ろうとしますが、一人の少年に邪魔をされます。その少年はブルックリンから引っ越して来たマックスです。ヌードルスとマックスは最初はいがみ合いますが、やがて友情で結ばれていきます。
彼らは禁酒法を利用した商売を始め、金を儲けていきます。
それではこの物語の背景として、まず建国から1920年代(主人公たちの少年期)に至るまでのアメリカという国の来歴を見ていきましょう。
◎歴史的背景 1920年代までのアメリカの歴史
アメリカは1783年のパリ条約で独立国となりました。イギリスとの独立戦争を戦った東部13州が独立を達成したのです。その後19世紀の前半、諸外国から北アメリカ大陸の領土を買収または併合し、先住民の土地を奪いつつ西方に領土を拡大していきます。19世紀半ばには太平洋側に到達します。新しい領土には、東海岸から移って来た人やヨーロッパからの新たな移民が流入し人口が急増します。アメリカは広大な土地と資源を獲得するとともに、民主的な共和制を確立して近代国家として発展する基盤を整えていきます。
しかし19世紀半ばにアメリカは大きな試練に直面します。国内での産業構造の違いから南北の対立が激しくなり、ついには1861年に南北戦争に突入します。戦争は北軍の勝利で終わりますが、この戦争はアメリカ合衆国にとって最大の戦争でした。南北戦争後は国内が再統一されて北部を中心に工業大国への道を歩み、アメリカは繁栄に向かいます。重化学工業の技術が大幅に進歩し、19世紀末にはイギリスを抜いて工業生産が世界一になります。
19世紀後半の西部開拓の進展により人口はさらに増加します。1869年には最初の大陸横断鉄道が完成し、東部の工業地帯と西部の市場が結ばれます。自由競争を通して企業規模が拡大し、大財閥が生まれて富が集中する一方、経済的格差に不満をもつ農民や労働者の運動も盛んになります。
1890年には西部の開発の最前線であったフロンティアが消滅し、以降アメリカは対外膨張策に転じます。本格的に海外進出に乗り出し、帝国主義外交を展開します。まずは大西洋と太平洋の中継地点となるカリブ海を重視します。1898年のアメリカ・スペイン(米西)戦争ではキューバとともにフィリピンを支配下におき、東アジア進出の拠点とします。
ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発するとアメリカは孤立主義の伝統を守り中立を表明します。しかし1917年のドイツの無制限潜水艦作戦を契機に国内の反ドイツの機運が高まり、民主主義の防衛を掲げて参戦します。その背景には、アメリカがイギリスとフランスに巨額の資金提供をしていたため、それを回収できなくなることを危惧したものと思われます。アメリカ軍は西部戦線でドイツ軍と戦い、大戦の終結に大きな役割を果たしました。
民主党のウィルソン大統領は戦後世界の新しい秩序の形成を主導しました。国際連盟の創設を含む十四か条の平和原則を公表しました。国際連盟は集団安全保障により平和を維持する画期的な構想でしたが、共和党が多数を占める議会の反対により、アメリカは国際連盟に参加しませんでした。
次に、主人公たちが少年期と青年期を過ごした1920年代から30年代初めの時期はどんな時代であったのかを見ていきましょう。
◎歴史的背景 「狂騒(狂乱)の20年代」
この言葉は1920年代のアメリカ合衆国の社会や文化の華やかさや力強さを強調する言葉です。
第一次大戦後、ヨーロッパの地位は低下しアメリカが世界一の経済大国となります。国際社会に大きな影響力をもち、この時期の潮流であった国際協調を主導しました。
1920年代の三人の大統領はいずれも共和党です。一人目のハーディング大統領は、「常態への復帰」を掲げて当選しました。ワシントン会議を主導してアジア・太平洋地域の国際秩序を確立しました。経済面では自由放任政策を採りました。二人目のクーリッジ大統領はハーディング大統領の死後就任し、自由放任政策を継承しました。この大統領の時代に国際紛争を平和的手段により解決することを規定したケロッグ・ブリアン条約(不戦条約)が締結されました。三人目のフーヴァー大統領は「永遠の繁栄」を謳歌するかに見えましたが、当選直後に世界恐慌が始まりました。
第一次世界大戦後、アメリカは未曽有の好景気に沸きます。1920年代はアメリカの経済的繁栄の時代です。科学技術の発達が産業に結び付き、著しい経済成長を続けました。特に製造業の成長が顕著で、イギリスに代わり世界の工場となりました。中でも自動車産業においてはベルトコンベアによる流れ作業という方式が開発され、フォードのT型モデルが大量生産されました。価格も低下し、一般大衆に自動車が普及しました。
化学工業やエネルギー産業も急成長し、石油は増産を続けました。国際金融市場の中心は、ロンドンのシティからニューヨークのウォール街に移りました。
消費者の需要も増大して大量消費の時代となりました。月賦販売制度等の商慣行も普及し、デパート等の現代的な小売店が現れました。家庭の電化が進み、洗濯機や冷蔵庫など新しい大衆向けの耐久消費財が登場しました。生活様式が大きく変化し、大衆は物質的な豊かさを経験しました。
直前にあった第一次世界大戦への反動でしょうか、大衆娯楽が発達しました。この時代は商業化された大衆文化の先駆けとなりました。その象徴がラジオです。誰でも購入できるようになり、新聞とともに大衆向けメディアが発達しました。また、ラジオの普及によりジャズ・ミュージックの人気が広がりました。ルイ・アームストロングの洗練された演奏等が人気を呼び、この時代は「ジャズ・エイジ」とも呼ばれました。
ハリウッド映画も新たな大衆娯楽として発達しました。1922年には最初の総天然色映画「恋の睡蓮」が公開され、1927年には初めての音声を入れた映画「ジャズ・シンガー」が公開されました。大衆はトーキー(映像と音声が同期した映画)に熱狂し、次の1930年代からは「映画の黄金時代」が始まりました。スポーツの人気も高まり、野球のベーブ・ルースらがニューヨーク・ヤンキースの黄金時代の礎を築きました。
都市化が進み、ニューヨークでは摩天楼の建設が本格化しました。クライスラービル(1930年完成)、エンパイアステートビル(1931年完成)が相次いで世界一の高さを誇りました。
このような大量消費の生活様式や大衆娯楽はアメリカからヨーロッパにも広がりました。1920年代の半ば以降はヨーロッパ各国でも経済が発展し、「黄金の20年代」と呼ばれました。
文学では、「失われた世代」と呼ばれる作家たちが登場します。これは第一次世界大戦の現実に触れて既成の思想や価値観に対して懐疑的になった若い人々で、当時、パリに住んだアメリカの文学者です。アーネスト・ヘミングウェイ、F・スコット・フィッツジェラルド、ガートルード・スタイン等です。特にフィッツジェラルドの「グレート・ギャッビー」はジャズ・エイジを代表する小説と言われています。
芸術の分野では、1910年代半ばから流行が始まっていたアール・デコが頂点を迎えました。幾何学的な図形をモチーフにした装飾芸術で、直線的なデザインが特に好まれました。当時世界一の高さであったクライスラービルがこの様式を採用しています。
第一次世界大戦を機に女性の社会進出が進みました。大戦後の1920年には女性参政権が実現し、初めて女性の下院議員が誕生する等民主主義が進展しました。しかし、黒人差別の問題は根強く残り、南部では事実上の黒人の選挙権のはく奪や分離政策が公然と行われました。白人至上主義者の団体であるクー=クラックス=クランの運動が復活し、黒人への攻撃が行われました。
華やかな経済的繁栄を誇る一方、アフリカ系アメリカ人、新たにやってきた移民、労働者階級には、その恩恵をあまり受けない人々が多数いました。
「永遠の繁栄」と言われた1920年代は大恐慌の勃発で幕を閉じました。過度の投資や農作物の生産過剰などから、1929年10月24日ニューヨークのウォール街で株価が一挙に暴落したことから始まり、工場生産の急落、企業の倒産、失業者の急増等が続きました。そしてアメリカ経済の破綻が各国に広がり世界恐慌となりました。
この映画の主人公たちは、ユダヤ系の移民の子供です。この時代の経済的繁栄の恩恵を受けられなかった人々に属します。1920年代のニューヨークは、世界中から流入した移民により「人種のるつぼ」と言われる状態でした。それでは次にアメリカへの移民の歴史を見ていきましょう。
◎歴史的背景 アメリカへの移民
アメリカという国は大規模な移民を受け入れることによって発展してきました。アメリカの歴史は移民を抜きにしては考えられません。ただし、その内実は時代と共に大きく変化しました。
17世紀以降、西ヨーロッパからアメリカ大陸への移住が始まりました。当初はイギリスを中心にフランス、オランダ、ドイツ、スウェーデンなど西欧、北欧の国々からの移住でした。1607年のヴァージニア植民地を皮切りにイギリス領である13植民地が成立しました。イギリス国教会から迫害され、信仰の自由を求めて移住してきたピューリタン(清教徒)等です。その数世代後の人々がアメリカ合衆国建国の主体となりました。そしてその人々の子孫がWASP(白人、アングロ=サクソン、プロテスタントWhite Anglo-Saxon Protestant)と呼ばれ、アメリカ国家の中枢を形成します。政府、産業界、軍、各種のエリート職種など社会的に優位な中・上層階級となります。
アメリカは独立後も積極的に移民を受け入れます。出身国も多様で多民族国家として発展しました。なお、独立以前は「移住」と呼び、独立後は「移民」と呼ぶという考え方もあるようです。また、強制的にアフリカから連行された黒人奴隷は「移民」とは呼びません。
移民は東部の都市に定住する人もいれば、西部開拓に加わる人もいます。
ヨーロッパから移民としてアメリカに渡る理由も様々です。一つは経済的要因です。ヨーロッパで人口が増加し農業が凶作となれば生活に困る人が大量にでます。そこで貧困から逃れるためにアメリカに移住します。政治的、宗教的迫害から逃れるために移民となるケースも多数ありました。アメリカは自由な夢が描ける国と信じ、新天地での成功を夢見てアメリカに来た人々も多かったようです。また、19世紀に大型客船が登場したことも側面的な理由になるようです。
しかし、後からやって来た移民は白人社会の最下層に位置付けられ、低賃金労働に従事することになりました。
19世紀半ばにはアイルランドからの移民が急増しました。これはアイルランドで起こったジャガイモ飢饉が原因です。また、黒人の奴隷制が廃止になる一方、アジアでは中国がアヘン戦争とアロー戦争に敗れ、中国人の海外渡航が可能になりました。このため中国からの移民が増加しましたが、「苦力(クーリー)」と呼ばれて実質的に奴隷に近い扱いを受け、大陸横断鉄道の建設などに従事しました。大量の中国人が低賃金労働者として流入するとアイルランド系などの白人労働者と利害が対立して中国人排斥運動が起き、1882年には中国人排斥法が成立しました。日本人の移民は、中国人移民が制限された後に急増しました。しかし白人の中に日本人移民に対する反発が強まり、今度は日本人移民排斥運動が起きました。
移民の流入が最も多かったのは19世紀末から20世紀はじめです。この時期には南欧・東欧からの移民が増加しました。この時期以降の移民が「新移民」と呼ばれ、それ以前の移民が「旧移民」と呼ばれます。南欧系はイタリア人、ギリシア人など、東欧系はポーランド人、ロシア人などです。宗教は、イタリア人、ポーランド人はカトリックが多く、ギリシア人はギリシア正教会、ロシアからの移民はユダヤ人が多数を占めておりユダヤ教でした。
新移民はアメリカ社会にあまり同化せず、独自の社会集団を形成して自国の文化や習慣を維持しました。また、この時期はアメリカの産業化、都市化が進展していたため、農民になるよりも都市の工場で非熟練労働者として低賃金労働で働くケースが増えました。
第一次世界大戦後の1920年代、アメリカは世界最大の工業国となっており、労働力として移民が重要になりましたが、新移民が旧移民の職を奪う事態も発生しました。アメリカは移民に寛容な国ではありますが、新移民の増加に対する警戒心が強まり、排外感情が高まりました。旧移民の側から新たな移民を制限する要求が強まり、たびたび移民制限策が採られました。
1917年には識字テスト法が導入されました。新移民は文盲率が高かったため、新移民の流入を制限する手段でした。1924年の移民制限法では、出身国別に入国可能な移民の数に制限を設けました。南欧・東欧系の新移民の数を制限し、日本人移民は実質的に禁止されました。その後は、メキシコ等規制の対象となっていないアメリカ大陸諸国からの移民が増加しました。
この映画の主人公たちは移民の中でもユダヤ系です。彼らがアメリカ社会でどの様な立場に置かれたかを知るために、ユダヤ系の移民についてもう少し見ていきましょう。
◎歴史的背景 ユダヤ系移民
移民としてアメリカに来るユダヤ人は、19世紀前半にはドイツ系のユダヤ人が多かったようです。比較的教養のある人も多かったようで、農民や肉体労働者だけでなく様々な職に就いてアメリカ社会に同化しました。社会的な成功者もでました。
1890年頃以降、ユダヤ系の移民が急増しました。これは東ヨーロッパやロシアでのユダヤ人に対する迫害を逃れてアメリカに移住したものです。ヨーロッパでは、ユダヤ人が他民族に比べて劣等であるという根拠のない人種差別が中世から根強くありました。キリスト教徒による異教徒への攻撃の一環として迫害されたこと、黒死病(ペスト)の流行がユダヤ人の陰謀とされたことなどがありました。
近代に入ってもヨーロッパ各国では反ユダヤの感情は根強く、19世紀後半には反ユダヤ主義がヨーロッパに吹き荒れました。この背景には、産業革命や近代化等により社会の仕組みが変わるのに伴い、それに不安や不満ももつ人々が現れます。鬱積した不満のはけ口がユダヤ人に向けられました。また、ユダヤ人の中には実業界で成功した人も少なくないため、貧困層からの妬みや反発を買うことも少なくありませんでした。
1894年にフランスでドレフェス事件という冤罪事件が起きましたが、その背後には大衆に蔓延した反ユダヤ主義がありました。
ロシアでは19世紀前半からポグロムと呼ばれる組織的なユダヤ人への攻撃がありましたが、皇帝アレクサンドル2世の暗殺がユダヤ人の犯行と決めつけられて迫害が激しくなりました。この様な状況が大量のユダヤ系移民の背景です。
ロシアから逃れてきたユダヤ人は貧しい人が多かったのですが、ユダヤ教の教えに忠実で、他のヨーロッパ系移民とは異なる文化を形成しました。職業については、重要な産業は上流・中流のWASPが独占していたためユダヤ人の入り込む余地はありませんでした。そこでWASPが手を出さない、低レベルで汚らわしいと見られていた産業や、既存の産業の隙間に新たなビジネスを興すしかありませんでした。具体的には、服飾、小売り、金融業、マスコミ、映画等です。中でも服飾業、特に大衆向けの既製服を扱う業種はアメリカではユダヤ人の典型的な職業になったようです。映画、ミュージカルなどの新しいショービジネスにもユダヤ人が積極的に参入していきました。
経済や社会が大きく変動していく時代でしたので、ユダヤ人が就いた産業が時代の変化にうまく適応して花形になる場合もありました。劣悪な条件の下で懸命に働いたユダヤ人も多かったと言われており、一部には社会的成功者や富豪も登場し、それがまたユダヤ人攻撃に結び付きました。
ユダヤ人は迫害され続けてきた歴史をもつからこそ、民族としての団結力も強固だったようです。
ニューヨークのロウアー・イースト・サイドには、大量のユダヤ系移民が流入したためユダヤ人のコミュティが形成されました。多くのシナゴーグ(ユダヤ教会)や学校などが建てられ、ユダヤ人の文化と宗教に密接に結びついた生活様式を維持しました。しかし人口が過密であり、不衛生で劣悪な環境のもと、多くのユダヤ人が貧困にあえいでいました。これが犯罪の温床になり、スリ、売春、窃盗、賭博、盗品の売買等が横行しました。そしてニューヨークを中心にユダヤ系移民の犯罪組織が台頭しました。常に偏見や差別の対象とされてきたユダヤ人の、他の民族に対するねじれた形の反発なのかもしれません。20世紀に入るとユダヤ系ギャングが益々力をつけ、禁酒法時代にはギャングが組織化されてシンジケートを形成します。
この映画の主人公たちは禁酒法を巧みに利用して金儲けをします。1920年代を特徴づけるもう一つのキーワードが禁酒法です。
◎歴史的背景 禁酒法
アメリカでは南北戦争前の1840年代から禁酒運動がありました。敬虔なキリスト教の精神、特に禁欲を重んじるピューリタンの思想が多くのアメリカ人の根底にあるのでしょう。20世紀に入ると運動が急速に活発になります。一つには、飲酒は好ましくないという道徳性の高まりがありました。これは当時急速に増加していた移民の中に日常的な飲酒習慣があり、それに対する不快感とも関係していたようです。
また、第一次世界大戦でドイツに対して宣戦布告をすると反ドイツ感情が高まります。大手のビール製造会社の殆どがドイツ系であったことから、ビールに対するネガティブなイメージが強まりました。さらに戦争中、穀物をビール醸造に用いるより節約して前線の兵士に送ろうという声も高まります。
こういった流れを受けて大戦後の1920年、様々な社会問題を軽減する試みとしてアメリカ合衆国憲法修正第18条が施行されました。消費のためのアルコールの製造、販売及び輸出入を禁止するものです。これは教会をはじめ様々な立場から幅広い支持を受けました。ただし、飲酒自体は禁止されていません。また長年の習慣は簡単には変えられませんので、多くのアメリカ人が引き続き酒類を望みました。
そこで無許可での酒類の製造(密造酒)や違法な流通・販売が行われるようになり、完全な規制は実態上困難でした。実際、アメリカ人の飲酒量は禁酒法以前より増加したとも言われています。多くのアメリカ人が飲酒のためにカナダ、メキシコ、キューバ等に赴き、これらの国から不法に輸入された酒や密造酒が高額で売買されました。
さらに「スピーク・イージー」と呼ばれる違法な酒場(もぐり酒場)が現れ、国中で繁盛しました。これらを運営する事業は儲けが多く、酒類の密造と結びついて経営されました。これが組織犯罪の勃興に繋がりました。シカゴのアル・カポネに代表される全米のギャングたちが無許可で酒を製造し、その流通と販売を支配して大金を稼ぎました。そのためのシンジケートが形成され、販売権をめぐってギャング同士の抗争や暴力犯罪が増加したため、かえって社会が混乱しました。
一方、アルコールの税収が無くなったことにより、アメリカの連邦政府の財政に悪影響を及ぼしたとも言われています。
この様なことから反禁酒法の声も根強くありました。特に世界恐慌の混乱期には廃止を求める声が高まり、1933年にフランクリン・ローズベルト大統領により禁酒法は廃止されました。
■映画のあれこれ 映画の魅力
この作品はカンヌ国際映画祭で先行上映されて好評でしたが、アメリカ公開時には酷評を受けました。これは映画製作会社が時間を大幅に短縮し、わかりやすくするために時系列を並べ替えるという改悪をしたためです。その後、完全版が公開されて今度は絶賛を浴びました。この様な経緯もあり、この作品にはいくつかのバージョンが存在しますが、229分版がレオーネ監督自身が編集した完全版だとされています。
ロシア系ユダヤ人のハリー・グレイという人物の半自伝的小説を原作としています。この作品はユダヤ系の若者たちの物語ですが、老年になった主人公ヌードルスが過去を回想しつつ真実に迫っていく形で物語が進みます。三つの時代の時間軸が入り組んでおり、現在と過去が交錯する重層的な構造ですが、時代について混乱することはありません。長尺の作品ですが中だるみもありません。なお、三つの時代の時間配分は、229分の完全版の場合、少年期が1時間弱、青年期が2時間、老年期が1時間弱程度だと思われます。人間模様も複雑にからみあいます。様々な伏線が張り巡らされ謎めいた場面もあるため、多くの人が様々な解釈を述べているようです。
主人公たちは貧しさから脱したい一心で仲間とともに悪事に手を染め、裏社会で頭角を現します。そうやって生きていくしかなかったユダヤ系移民の過酷な環境、それでも自らの才覚で精一杯のし上がろうとする様が力強く描かれています。ギャングとしては物静かで抱え込むタイプのヌードルスと激しやすいマックスの対比、そして二人の生き様が鮮烈です。男たちを結ぶ強い絆とそれぞれの生き様が見る者の心に迫ります。名もなき若者たちの苦闘の軌跡を重厚で壮大な叙事詩に昇華させています。
強烈なバイオレンス描写が盛り込まれていますが、物語の展開は抒情的でもあり、芳醇な香りに満ちています。切なく悲しい物語が胸を打ちます。友人の妹であるデボラへの恋心も描かれますが、女性の愛し方を知らないヌードルスの激しくも脆い感情の暴発が無残で、見ていてもつらくなります。
美しい映像と音楽がこの映画を豊かなものにしています。舞台となったロウアー・イースト・サイドの賑わいが印象的です。大規模なセットと大勢のエキストラを用いて当時の雰囲気を精巧に再現しています。細かい描写にまで配慮が行き届き、ユダヤ系の人々の風俗を蘇らせています。背景に映る街並みとマンハッタン橋、立ち上る蒸気など何とも言えない幻想的な美しさです。マンハッタン橋のたもとを意気揚々と歩く少年期の主人公たちは生き生きとして魅力的です。
一方、老年期の主人公が過去の思い出に浸る場面のもの悲しく何とも言えない寂寥感が見る者をノスタルジーの世界に導きます。少年期のとのコントラストが見事です。
主人公たちの裏世界でのビジネスは酒の密売等だけではありません。運輸業者の労働組合の用心棒としても活動します。実際に初期のアメリカの労働組合運動は、経営者側と対抗するために反社会勢力の力を借りたという事実があったようです。アメリカが繁栄に向かう時代の裏面です。この労働争議のエピソードを取り込むことによって物語に深みがでています。アメリカを愛したレオーネ監督は表と裏を全部ひっくるめてアメリカという国を表現したかったのでしょう。
■映画のあれこれ 監督と出演者たち
セルジオ・レオーネ監督は、クリント・イーストウッド主演の「ドル箱三部作」が世界的にヒットし、マカロニ・ウエスタンの元祖とされています。その後アメリカに招かれ、西部劇への挽歌ともいうべき「ウエスタン(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト)」とメキシコ革命を背景とした「夕陽のギャングたち」を作ります。その後に製作された本作を含めて「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」と呼ばれることになります。この作品は晩年のレオーネが10年余りの歳月をかけて作り上げた力作です。まさにセルジオ・レオーネの世界が堪能できる代表作になりました。気骨ある男の映画を作り続けてきたレオーネが持てる力をすべて注ぎ込んだという迫力を感じます。
そして中心となる二人の名演が光ります。主人公ヌードルスを演じたロバート・デ・ニーロは、1970年代から現在に至るまでアメリカ映画界を代表する名優で、アカデミー賞も二度受賞しています。この映画でも20代から60代までを演じ分けた演技力は特筆に値します。
マックスを演じたジェームズ・ウッズはこの映画で注目されてその後多くの作品に出演し、アカデミー賞でも主演男優賞と助演男優賞の両方にノミネートされています。この映画での存在感は素晴らしく、主役がデ・ニーロでなければ主役を食うほどだったと思われます。
主人公たちの少年時代を演じた子役たちも素晴らしいです。特に、ヌードルスの初恋の相手であるデボラの幼少期を演じたのが当時14歳のジェニファー・コネリーです。可憐な美しさが話題になりました。大人になってからのデボラを演じたエリザベス・マクガヴァンが損な役回りになったほどです。
その他の脇役の男たちにも女たちにも実力派の俳優を揃えています。
■映画のあれこれ 音楽
音楽はレオーネ監督の長年にわたる盟友であるエンニオ・モリコーネです。この作品でも抒情あふれる流麗な音楽がノスタルジックで切ない思いを掻き立てます。モリコーネの音楽が重なることによって映像の美しさがさらに引き立っています。
この映画では、いくつかの曲が効果的に用いられています。まず、「アマポーラ」です。これはスペイン出身のホセ・ラカジェという人が作り、多くのアーティストが演奏してきた曲です。曲名はスペイン語で「ひなげしの花」を意味しています。この映画では、少年期の主人公がデボラのダンスの練習を覗き見る場面等で使われました。哀愁漂う独特の音色はパンフルートという楽器で演奏されたものです。これは長さや太さが異なる何本かの管を束ねた縦笛の一種です。ルーマニアに古くから伝わる木管楽器で、演奏もゲオルゲ・ザンフィルというルーマニア人がしています。なお、この映画の日本での初公開の際、沢田研二によるこの曲のカバーバージョンが発売されヒットしました。映画の予告編でも用いられています。
次に「God Bless America」という曲が用いられています。映画の冒頭の場面でバックにこの曲が小さな音で流れます。そして映画の最終盤でも流れます。この曲は第二次世界大戦中にアメリカで広まりましたが、神はアメリカを守るという歌詞の愛国歌として知られています。
そして「イエスタデイ」です。言うまでもなくビートルズの代表曲の一つです。1965年の発表ですので、まさにこの時代を代表する名曲です。この映画では老年期のヌードルスが久しぶりにニューヨークに戻った場面で情感たっぷりに流れます。ヌードルスの心境を象徴するのにピッタリです。映画の鑑賞後もこの曲の切ないメロディが強く印象に残ります。
■「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」と「ゴッドファーザー」
マフィア映画の金字塔ともいうべき「ゴッドファーザー」三部作については語るべきことが数多くありますが、ここでは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」との関係に限って触れることにします。
「ゴッドファーザー」三部作は、シチリア系マフィアのドンであるヴィトー・コルレオーネとその息子のマイケル・コルレオーネを中心とした物語です。第一作(1972年フランシス・フォード・コッポラ監督)では第二次世界大戦直後の1945年から物語が始まります。マーロン・ブランドがヴィトーを演じ、アル・パチーノがマイケルを演じました。「ゴッドファーザーPARTⅡ」(1974年フランシス・フォード・コッポラ監督)では、第一作の後の時代の展開とともに、過去に遡って若き日のヴィトーが禁酒法下のリトル・イタリーでのし上がっていく様が描かれています。つまり「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」でヌードルスたちが勢力を伸ばしていたのと同じ時期に、隣接するリトル・イタリーでは青年ヴィトーが台頭していったということになります。この青年時代のヴィトーを「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」では主人公ヌードルスを演じたロバート・デ・ニーロが演じています。
ギャングの興亡と移民の数の推移には関係があるのでしょうか。ニューヨークの暗黒街では、当初はアイルランド系が幅を利かしていたのですが、やがてユダヤ系ギャングが隆盛を誇るようになります。イタリアの移民は、ユダヤ人より少し遅れて流入しました。イタリアの中でも経済的に遅れた南部や独自の歴史をもつシチリア島からの移民がアメリカに大量に入りました。その中にはシチリア島の犯罪組織であるマフィアの関係者が含まれており、彼らがアメリカで組織を形成したのがニューヨークのマフィアです。アメリカの暗黒街ではイタリア系マフィアが大きな勢力を占めるようになりました。禁酒法の時代である1920年代には、ニューヨーク等ではアイルランド系、ユダヤ系、イタリア系などのギャングが入り乱れて、酒の密売等の利権を奪い合いました。
イタリア系マフィアの台頭によりユダヤ系ギャングの勢力は落ちたのでしょうか。「ゴッドファーザー」の第一作の物語が始まる1945年の時点でニューヨークの暗黒街を支配する五大ファミリーはイタリア系(シチリア系)マフィアが中心となっています。
「ゴッドファーザー」にはユダヤ系ギャングも登場しています。第一作にはモー・グリーンというラスベガスを支配するギャングが登場しますが、この人物がユダヤ系です。また、「ゴッドファーザーPARTⅡ」にはハイマン・ロスというユダヤ系ギャングのボスが登場します。マイアミを根拠地としてキューバに巨大な利権をもちます。マイケルの父親のヴィトーとは仲間でしたが、マイケルとは敵対関係になります。この人物にはモデルがいます。マイヤー・ランスキーという実在したユダヤ系ギャングの大物です。ロシア系ユダヤ人の移民で、禁酒法時代にのし上がりました。「ゴッドファーザーPARTⅡ」は、ユダヤ系ギャングとイタリア系マフィアの衝突の物語でもあります。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」が友情の物語であったのに対し、「ゴッドファーザー」シリーズは血を血で洗う抗争とともにイタリア人ならではの家族への深い思いを描いており、それがこのシリーズを映画史上に残る名作にしています。
一方、ユダヤ系ギャングの世界を描いた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」にもイタリア系のマフィアが登場します。フランキーとジョーです。映画の冒頭でヌードルスを追っていた殺し屋たちは、フランキーの手下でイタリア系のマフィアと思われます。
なお、セルジオ・レオーネ監督は「ゴッドファーザー」の監督をしないかというオファーを受けましたが、スケジュールの都合で断ったという逸話もあるようです。
■映画のあれこれ ロウアー・イースト・サイドと映画のロケ地など
物語の中心となった舞台はニューヨークのロウアー・イースト・サイドという地区です。マンハッタンの東南部にあり、リトル・イタリーの東、チャイナタウンの北東に位置する地区です。ニューヨークに上陸した移民が最初に居住する町でしたが、ユダヤ系移民の街として知られるようになります。現在では他のエリアに移るユダヤ人も多く、一方ではこの地区の一部はチャイナタウン化しつつあるようですが、今でもシナゴーグなどユダヤ関連の施設や商店もあり、ユダヤ人の生活の香りが感じられる街です。
この映画の時代には劣悪な環境におかれていたようです。その後も開発があまり進みませんでしたが、近年ではホテルやハイセンスな小売店、レストランやバーが進出してトレンディな地区に変わりつつあるようです。特にファッション関係では新進のデザイナーによる作品が発表され、流行の発信地としても注目されているようです。テネメント博物館では移民の街としての歴史を学ぶことができます。かつては観光客は立ち入らないよう注意されていた地区ですが、現在では日本で販売されている観光ガイドブックにも少しですがこの地区の紹介が掲載されています。
この映画の撮影は、ローマにあるチネチッタ撮影所を中心に、アメリカをはじめ各国でロケが行われました。
マンハッタンのロウアー・イースト・サイドやブルックリンを中心に撮影されましたが、この映画のメインビジュアルとしてポスターその他で多く使われた場所は、ブルックリンのダンボ(マンハッタン橋の陸橋の下Down Under the Manhattan Bridge Overpass)地区のワシントン・ストリートです。茶色のビルの奥にマンハッタン橋を望む構図が印象的です。この場所はこの映画のファンが写真を撮りに来る聖地となっているそうです。
ヌードルスが憧れのデボラと豪華な海辺のレストランを借り切ってデートをする場面があります。映画の中ではマンハッタンという設定になっていますが、実際の撮影はイタリアのヴェネツィアのリド島にある五つ星の高級ホテル「ホテルエクセルシオール ヴェネツィア」で行われました。
ヌードルスとマックスがそれぞれの恋人を連れてビーチで日光浴をする場面がありますが、フロリダのセント・ピート・ビーチで撮影されました。ホテルは「ドン・シーザー・ホテル」です。
■こちらもおすすめです 「アンタッチャブル」
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」と同様に禁酒法時代のギャングが登場する映画として有名なのがこの作品です。こちらはギャングと対決する正義の連邦調査官のエリオット・ネスを主人公としています。舞台はシカゴで、登場するギャングのボスは有名なアル・カポネです。二人とも実在の人物です。
ネスの自伝を原作としたテレビドラマのシリーズが長期にわたって製作されていましたが、単独の映画として製作されたのがこの作品です。
アル・カポネは、イタリアのナポリからの移民の子としてニューヨークのブルックリンで生まれ育ちましたがシカゴに移り、禁酒法を利用した利権でギャングの帝国を築きました。
①映画の概要
・1987年アメリカ映画
・監督 ブライアン・デ・パルマ
・出演 ケビン・コスナー、ショーン・コネリー、ロバート・デ・ニーロ、アンディ・ガルシア
②あらすじ(ネタばれ無し)
1930年、禁酒法時代のシカゴでは、アル・カポネをボスとするギャングの組織が酒の密造やもぐり酒場により莫大な利益をあげていました。組織は強大化し、地元の警察や裁判所は買収されて腐敗がはびこっていました。ギャング同士の抗争が市民生活を脅かしている状況に、政府は財務省のエリオット・ネスを密造酒についての特別調査官としてシカゴへ派遣します。使命感に燃えるネスは、赴任早々、シカゴ市警の警官たちを引き連れて密造酒摘発に乗り出しますが、買収されていた警官が情報を漏らしていたため失敗します。さらに新聞記者に失敗した場面の写真を撮られて世間の笑いものになり意気消沈します。そんな時に清廉な初老の警官ジム・マローンに出会います。
翌日、出勤したネスのところに、抗争の巻き添えになって死んだ少女の母親が面会に訪れます。改めてその悲しみを訴えネスを激励します。ネスは新たな決意を胸にマローンを呼び出します。ネスはシカゴを牛耳るアル・カポネを逮捕する決意を打ち明けてマローンに協力を要請します。ネスたちは、警察学校から射撃の名手であるストーンを、財務省からウォレスを加えて買収に応じないグループを作り、少数精鋭で巨悪に挑みます。
③映画のあれこれ
禁酒法時代のシカゴを見事に蘇らせ、文句なしの面白さです。ネスのチームとギャングの交戦は迫力十分です。テンポのいい展開でエンターテインメントとして一級品です。
この映画も音楽はエンニオ・モリコーネです。独特の美しい音楽がこの時代の雰囲気を盛り上げています。
印象に残る場面がたくさんありますが、中でもクライマックスのユニオン駅の階段の場面は強烈で、名場面として語り継がれています。ソ連のセルゲイ・エイゼンシュテイン監督による名作「戦艦ポチョムキン」(1925年)のオデッサの階段の場面へのオマージュだと言われています。
監督はブライアン・デ・パルマです。この作品以前は、「キャリー」(1976年)「殺しのドレス」(1980年)等もっぱらサスペンス映画を撮っていましたが、この作品で正統派の大作に挑み見事に成功します。様々なテクニックを駆使して、見せ場をたっぷり作っています。この後1996年には「ミッション・インポッシブル」シリーズの第一作の監督を担当し、名声が確立します。
出演者は皆素晴らしく、個性的です。主人公ネスを演じたケビン・コスナーは凛々しく正義感溢れるリーダーを好演し、この作品で一躍有名になってスターダムを駆け上がりました。
老警官マローンを演じたショーン・コネリーは007シリーズの初代ジェームズ・ボンドとして有名ですが、高齢になってからの渋くて味のある演技も高く評価されています。この映画の前年の「薔薇の名前」で演じた修道士役も出色でしたが、この作品ではで老練で頼りになる警官を演じ、アカデミー賞の助演男優賞を受賞しました。
若くてクールな警官のストーンを演じたアンディ・ガルシアはこの作品で注目されました。
敵役のカポネを貫禄十分で演じたのが「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」で主人公を演じたロバート・デ・ニーロです。ふてぶてしく憎らしいカポネを巧みに演じ、役の幅の広さが多くのファンを驚かせました。
最後に、公開当時に話題となった名セリフです。
ネス 「狙いは?」 “You got it ?”
ストーン 「完璧です。」 “Yeah, I got it.”
ストーンを演じたアンディ・ガルシアは当時無名でしたが、このセリフの場面でのあまりの格好良さが話題になり、この3年後の「ゴッドファーザーPARTⅢ」(1990年フランシス・フォード・コッポラ監督) では主人公マイケルの後継者ヴィンセントを演じてアカデミー賞の助演男優賞の候補になり、ハリウッドでの地位を確たるものにしました。