「山猫」

イタリア

 貴族階級の栄華と落日を格調高く描いたルキノ・ヴィスコンティ監督の代表作の一つです。ヴィスコンティ監督は自身がイタリアの名門であるミラノの貴族の血を引いています。この映画の原作者のランペドゥーサ(こちらもイタリアの貴族です)に共鳴して作り上げた歴史絵巻です。
 歴史的背景はイタリアの統一です。

・1963年 イタリア・フランス合作映画 
・監督 ルキノ・ヴィスコンティ
・出演 バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ
・第16回カンヌ国際映画祭パルムドール

 ◎あらすじ (ネタバレなし)

 19世紀半ば、イタリアのシチリア島が舞台です。サリーナ侯爵ファブリツィオ(バート・ランカスター)は、数世紀にわたって続いているシチリアの名門貴族の当主です。家族とともにシチリア島の中心であるパレルモの近郊の屋敷で名門貴族としての誇りと伝統を守りながら暮らしていました。
 しかし、イタリア統一戦争の波がシチリア島にも押し寄せます。ガリバルディの赤シャツ隊がシチリア島に上陸します。するとファブリツィオの甥のタンクレディ(アラン・ドロン)は、貴族階級に属していながらも新しい時代の波に乗ろうとしてガリバルディの軍に参加します。かねてからタンクレディをかわいがっていたファブリツィオはそれを苦々しく思いますが容認し、資金援助すらします。
 ファブリツィオは時代の流れを冷静に見通し、それに逆らうことはしません。貴族という階級の落日を覚悟し、淡々と受け止めます。タンクレディが、自分の娘ではなく、成り上がり者の町長の娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)と結婚しようとすれば、夫人や周囲の反対を押し切ってそれを容認します。ただ、あくまで自らが貴族としての誇りと威厳を損なうことはしません。
 

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 シチリア島は、イタリア半島の西南の地中海に位置するイタリア領の島であり、地中海最大の島でもあります。

 この映画はイタリア統一戦争さなかのシチリア島が舞台です。それではイタリア統一の歴史を見ていきましょう。

 19世紀中ごろのイタリアの分裂した状況を示す地図です。

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Gigillo83Image:Italy 1494 shepherd.jpg, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

1843年時点のイタリア   サルデーニャ王国  パルマ公国  トスカーナ大公国  両シチリア王国  ロンバルド=ヴェネト王国  モデナ公国  教皇国家  ルッカ公国

 この様な分裂状態から統一に向かう大きな契機となったのはナポレオンによるイタリア遠征です。イタリアにも自由と平等の理念が広がり、自らの手で統一国家を作ろうという機運が生まれます。しかし、ナポレオン戦争後のウィーン会議により1815年にウィーン議定書が定まりますが、これによりヨーロッパの各国の勢力均衡の枠組みが作られ、イタリアもその中に組み込まれます。ウィーン会議の結果、イタリア北部ではヴェネツィアとロンバルディア(ミラノを中心とする地域)はハプスブルグ家のオーストリアの領土となります。また、北イタリアのサヴォイア家は、それまでピエモンテ地方(トリノを中心とする地域)とサルデーニャ島を支配していましたが、ジェノヴァの領有も認められます。これによりサルデーニャ王国は北イタリアで最有力の国となります。これはヨーロッパの強国であるフランスとオーストリアにはさまれて緩衝地帯としての役割を期待されたものです。
 一方、イタリア南部の両シチリア王国は、ウィーン会議の結果、スペインのブルボン家の支配下に入りました。
 この様にウィーン体制に組み込まれたところから、イタリア統一運動の歴史が本格化します。イタリア統一運動のことを「リソルジメント」ともいいます。最初の動きはウィーン体制への反発という形で起きます。「カルボナリ」(「炭焼き」という意味です)という秘密結社が結成され、乱を起こします。南部の両シチリア王国の首都ナポリではブルボン朝の専制体制打倒を目指して蜂起し、北部のサルデーニャ王国の中心都市トリノで立憲革命を目指して蜂起します。しかし、いずれもウィーン体制を守ろうとするオーストリアの介入により失敗します。

 次に、1830年にフランスで七月革命が起きると、ヨーロッパの各地に自由主義の運動が波及します。イタリアでもカルボナリが蜂起しますが、またもオーストリア軍に鎮圧され、これがカルボナリの最後の蜂起になります。カルボナリに加入していたマッツィーニという自由主義者は、秘密結社による運動の限界を感じ、「青年イタリア」という政治組織を結成します。これは王政を倒し、全イタリアを統一して共和国を樹立するという目的をもった組織であり、イタリアにおける最初の近代的政党と言われています。
 その次は1848年のフランスの二月革命です。これを受けてヨーロッパ各地で民族主義、国民主義の運動が高揚します。イタリアでもヴェネツィアやミラノで反オーストリアの暴動が起きますが鎮圧されます。さらにローマで共和派の市民が蜂起してローマ共和国が樹立されます。青年イタリアのマッツィーニも参加しますが、フランスの干渉により失敗します。北部では、オーストリアの本国が革命で混乱しているのに乗じて、サルデーニャの国王カルロ=アルベルトがヴェネツィアとロンバルディアを奪うためにオーストリアに宣戦します。しかし態勢を整えたオーストリアに敗北します。
 この様に19世紀前半のイタリア統一運動は徐々に盛り上がりを見せながらも具体的な成果がでないままに終わります。その原因の一つは、統一運動自体に二つの相反する路線があったことです。一つはマッツィーニらの共和主義者による運動でイタリアを共和国として統一しようというものでした。もう一つはサルデーニャ王国を拡大することにより、国王の統治する君主制国家としてイタリアを統一しようというものでした。これらは同じイタリア統一を目指しながら手を携えることができませんでした。

 しかし、19世紀後半に入ると大きな動きが出てきます。サルデーニャ王国では国王がヴィットーリオ=エマヌエーレ2世に変わり、それを支えて内政・外交をリードしたのが名宰相カヴールです。カヴールは工業化を進め、鉄道を建設するなどしてサルデーニャ王国を近代国家にしていきますが、外交面でも巧みな交渉により列強の支持を得ながら統一を進めていくという戦略をとります。まず、フランスとイギリスがロシアと戦ったクリミア戦争にサルデーニャ王国が参戦し、その機会を活用してフランスのナポレオン3世に接近します。そしてサルデーニャ王国のイタリア統一に対してフランスが支援する約束を取り付けます(プロンビエールの密約)。
 そして1859年、イタリア統一戦争(サルデーニャ+フランス 対 オーストリア)が始まります。しかし、この戦争はナポレオン三世が裏切って途中でオーストリアと単独講和したため、サルデーニャはロンバルディアを獲得しただけに終わります。それでもサルデーニャは統一を進め、次にイタリア中部にある小国群をサルデーニャ王国に併合しようとします。これをフランスに承認してもらうために、サヴォイアとニースをフランスに割譲します。こうしてイタリア北部では少しずつですが統一が進みます。
 19世紀後半のイタリア統一の中心勢力となったのは一つはサルデーニャ王国ですが、もう一方にガリバルディという愛国者が登場します。ガリバルディはかつて青年イタリアにも参加していた共和主義者ですが、統一に向けてイタリア南部で動き出します。1860年、統一の動きに対し逆行しようとするシチリア国王に対してシチリア島の農民が反乱を起こすとガリバルディは千人隊(赤シャツ隊)を率いてシチリア島に上陸、反乱軍を助けて王国軍との戦いを始めます。

 映画「山猫」が描く物語は、この時点でのシチリア島から始まります。

 映画「山猫」は、この公爵と、タンクレディ、その結婚相手となる町長の娘アンジェリカの3人を中心に進みます。主役となる3人はいずれも生き生きと魅力的な人物像を作り上げています。
 まず何と言っても主人公である公爵の人間像です。公爵には、シチリアを何百年にもわたって統治してきた誇りがあります。それは一代では決してできない伝統の重みに裏打ちされています。しかし一方では公爵は自らの老いと自分の階級の終焉をひしひしと感じ取っています。迫り来る時代の変化を冷静に理解し、貴族が支配をしていた時代の終焉が遠くないことを諦観をもって受け入れ、それに無理に抗うことはしません。過ぎ去った過去の栄華にすがりつくわけではなく、冷静なまなざしで運命を見つめながら、毅然とした態度で滅びゆく貴族階級に殉ずる覚悟と意地を示したバート・ランカスターの重厚な演技は圧巻です。もともとはアメリカのアクションスターであったという前歴が信じられないほどイタリアの名門貴族を演じてまったく違和感がありません。貫禄十分で、威風堂々として、貴族の威厳と誇りとともに没落していく悲哀を人間味あふれるスケールの大きな演技で表現しています。
 甥のタンクレディを演じたアラン・ドロンは、フランスのトップスターですが、ヴィスコンティ作品は3年前の「若者のすべて」に続いての登場です。貴族階級に属しながらも時代の流れに遅れまいとしてガリバルディの軍に加わる青年の役です。貴族ならではのノーブルさとともに、血気盛んな精悍さと才気、そしてしたたかに時流に乗る野心と変わり身の早さを合わせ持つ青年像を巧みに演じています。
 アンジェリカを演じたクラウディア・カルディナーレは、イタリアの女優で1960年代にはフランスのブリジット・バルドー(BB)、アメリカのマリリン・モンロー(MM)らと並び、イタリアのCC(Claudia Cardinale)と呼ばれ人気を誇っていました。この作品でも、市民階級が台頭する中でのし上がっていく才覚と、溌剌として若々しく野生的な美しさをみせています。清新な存在感ですが、成り上がり者の娘らしい品のなさを時折見せるのが印象的です。  

 この映画は、急速にイタリア統一が進むなかでこの3人を中心に動いていきます。それでは、映画が描く時代のイタリア統一の動きです。

 1860年5月にシチリア島に上陸したガリバルディの赤シャツ隊は、両シチリア王国のブルボン朝軍と戦います。ガリバルディの軍はパレルモでの市街戦を制してブルボン朝軍を撃退してシチリア島を占領します。ガルバルディ軍はさらにイタリア本土に侵攻しナポリを占領します。ガリバルディは市民からの歓迎を受け、国王フランチェスコ2世は退去します。これによってブルボン家の支配する両シチリア王国は消滅しました。
 その後、シチリア島とイタリア南部ではサルデーニャへの併合を決める住民投票が行われ、圧倒的多数で併合が承認されました。それをうけてガリバルディが征服地の統治権を無条件でサルデーニャ国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世に献上しました。これによりイタリアの統一(リソルジメント)が大きく前進し、1861年3月サルデーニャ王国はイタリア王国として正式に発足しました。首都はサルデーニャ王国の都であったトリノであり、ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世を君主とする立憲君主制国家です。
 これは君主の存在しない共和制国家としてのイタリア統一を志向していたガリバルディの目指していたものではありませんでした。ガリバルディは、最終段階で大きく譲歩したのです。共和制という理念に固執するよりも、統一国家としてのイタリアが成立することを優先したのでした。
 また、イタリア王国といいながら、北東部のヴェネツィア地方は依然としてオーストリアの支配下にあり、中部のローマ教皇領も含まれていませんでした。イタリア王国は、これらの地域を含む完全な統一に向けて戦いを続けることになります。

 映画の前半の見所は、ガリバルディの軍が両シチリア王国のブルボン朝軍と戦うパレルモの市街戦ですが、迫力十分です。当初は兵力に勝るブルボン朝側が優勢であったが、ガリバルディは千人隊を鼓舞し、死闘を制してブルボン軍を破りシチリア島を制圧しました。
 後半は何と言っても大舞踏会のシーンです。上映時間のうち1時間余りを使い緻密な描写を積み重ねて繰り広げられます。その荘厳さはあまりにも有名です。邸内の装飾と家具や調度品はまばゆいばかりです。華やかに着飾った客たちの絢爛たる衣装と宝飾品の贅沢さ、豪華さは目を見張るものがあります。舞踏会こそ貴族社会の象徴だとして貴族文化の再現にこだわり、細部まで徹底したヴィスコンティ監督の執念が感じられます。舞踏会の参加者も本物の貴族がエキストラとして出演しており、貴族のたたずまい、雰囲気を醸し出しています。映像の隅々に「貴族」の香りが漂い、本物ならではの質感が感じ取れます。
 アメリカ映画では出せないヨーロッパの気品とでもいうべきものであり、素晴らしい映像美です。淀川長治さんが「大舞踏会のクラシックはもうただごとではありません。本物の貴族階級のムード、本物の衣装とセットの豪華さ」と述べておられますが、まさにその通りです。
 なかでも公爵がアンジェリカの求めに応じて、贅を尽くした大広間の中で彼女と優雅にワルツを踊るシーンがクライマックスです。歴史の表舞台から去りゆく者とこれから興る者の対比、新と旧の運命の交錯、時代の変転を舞踏会のシーンに凝縮させた名場面です。アンジェリカを演じたカルディナーレの舞踏会用のドレス姿も美しく、新時代の象徴と新興ブルジョワジー層の勢いを見事に表現しています。

 映画の中での公爵の言葉には印象深いものが多数ありました。時代の波に翻弄されながらもあくまで誇りを失わない貴族の気品、達観、そして寂寥感がにじみ出た言葉です。公爵の思慮の深さも感じさせます。そのいくつかをご紹介します。

 「シチリア人は老いている。我々は長い眠りを求めている。ただ忘れ去られたいのだ。」

 「現状を保つためには、変わるしかない。」

 「私は不運な世代の人間だ。ふたつの世界にまたがり、どちらの世界にもなじむことができない。」

 「山猫や獅子が去り、ジャッカルや羊が取って代わる。そしてそれぞれは自身を地の塩だと思い込んでいる」

 この映画にはルキノ・ヴィスコンティ監督自身が抱いている貴族階級の精神、文化への深い哀惜の念が刻み込まれています。当時の貴族の屋敷の豪華さが格調の高い映像で表されていて、見る者は貴族の豪華な生活の一端を垣間見て、歴史の変転に立ち会ったような気持ちにもなります。屋外のシーンもシチリアの遠景、公爵の屋敷、民家、青い空なども絵画的な美しさです。全編にわたり素晴らしい画面構成は監督の美意識に裏打ちされたものですが、ルキノ・ヴィスコンティ監督自身が若いときにジャン・ルノワール監督の助監督を務め、大きな影響を受けたと言われています。ジャン・ルノワールは、印象派の巨匠である画家オーギュスト・ルノワールの次男です。それも関係しているのかもしれません。
 音楽は日本でも有名なニーノ・ロータです。 

 同じくルキノ・ヴィスコンティ監督の作品です。こちらもイタリア統一の過程を背景にしています。映画の舞台は1866年のヴェネツィアです。「山猫」で描かれた時代から5年後です。この時点ではヴェネツィアはイタリア王国には含まれておらず、オーストリアの支配下にありました。

◎あらすじ (ネタバレなし)

 ヴェネツィアのフェニーチ劇場でジュゼッペ・ヴェルディが作曲したオペラ「イル=トロヴァトーレ」が上演されています。客席にはオーストリアの士官たちの姿も見られます。そうしたなかで「イタリア万歳」と書かれたビラがまかれ、劇場は混乱に陥ります。その中で、オーストリア軍のフランツ・マーラー中尉(ファーリー・グレンジャー)と、対オーストリアの抵抗運動を指揮するロベルト・ウッソーニ伯爵の間で決闘騒ぎが起きます。ロベルトの従兄弟であるセルピエーリ伯爵夫人リヴィア(アリダ・ヴァッリ)は、ロベルトを救うため決闘をやめさせようとしてマーラーに会います。リヴィアは、伯爵夫人であるがロベルトの抵抗運動を支援していました。リヴィアはあくまで貴婦人らしく毅然として振る舞い、マーラーも紳士的に接しますが、二人は敵対関係にありながら次第に互いに心を惹かれていき、深みにはまっていきます。
 フェニーチェ劇場は、現在でも有名な歌劇場です。

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Pietro Tessarin投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

 それでは、イタリア王国発足後の歴史をみていきましょう。

 1861年にイタリア王国が誕生した時点で、ヴェネツィアはその領土に含まれていませんでした。1815年にウィーン会議の結果、イタリアは北部のヴェネツィアとロンバルディアはオーストリア領とされます。1859年、イタリア統一戦争でイタリア王国の前身であるサルデーニャ王国はヴェネツィアとロンバルディアの獲得を目指しますが、結局ロンバルディアを獲得しただけに終わり、イタリア王国誕生に際してもヴェネツィアはオーストリア領のままです。真のイタリア統一のためにはヴェネツィアの併合は不可欠です。
 そのようななかで1866年にプロイセンとオーストリアの間で普墺戦争が勃発します。これはドイツ統一の主導権をめぐる争いでイタリアは直接は関係ありませんが、イタリア王国はこれをヴェネツィアを奪還するための好機と考えます。プロイセンはイタリアがヴェネツィアを獲得することを支持する協定を締結し、イタリアはオーストリアに宣戦布告をします。

 この「夏の嵐」が描く時代は「山猫」より5年後の時代ですが、映画の製作は「山猫」より9年前でした。ヴィスコンティ監督の4本目の監督作であり、初のカラー作品でした。今でこそ戦後イタリア映画の巨匠として日本の映画ファンでも知らない人はいないほどの存在ですが、この作品が日本に紹介された初めてのヴィスコンティ作品です。日本での上映は制作の翌年である1955年でした。今ではイタリア映画史上の名作の一つに挙げられていますが、公開当時はあまり注目されなかったようです。淀川長治さんをはじめごく一部の評論家が注目したようですが、キネマ旬報のベストテンでも支持者は少なく27位にとどまっています。
 ヴィスコンティ監督としては、イタリア社会の現実や問題を直視するネオ・リアリズムと言われた初期の作風から、貴族の豪華な世界などを背景に滅びの美学や格調の高い映像美に主眼が置かれていくようになる過渡期の作品といえます。
 カミッロ・ボイトの「官能」という小説を映画化したもので、本来であれば敵同士であるはずのイタリアの公爵夫人とオーストリア士官の愛憎劇ですが、主演の2人が素晴らしいです。
 マーラー中尉を演じたのは、アメリカ人のファーリー・グレンジャーです。アルフレッド・ヒッチコック監督に起用された『ロープ』、『見知らぬ乗客』が有名です。オーストリア軍のプレイボーイの役ですが、映画序盤の颯爽とした軍人の姿から変貌をとげていく様が見事です。

 セルピエーリ伯爵夫人リヴィアを演じたのは、イタリア人のアリダ・ヴァッリです。サスペンス映画の名作「第三の男」のヒロインとして映画史に名を残す彼女ですが、この作品も代表作の一つです。貴族としての気品を保ちながら恋にとりつかれた人妻の役を熱演しています。

  この映画でも後の「山猫」同様に本物志向は徹底されています。貴族の華やかな暮らしぶりが衣装、家具、調度などを通して表現されていますが、本物の貴族生活を知るヴィスコンティならではでしょう。冒頭の劇場のシーン、ヴェネツィアの風景も印象深く、格調の高い映像美ですが、この映画のもう一つの見せ場は戦闘シーンの迫力です。映画の中盤で、イタリア軍とオーストリア軍によるクストーツァの戦いの場面がありますが、壮麗でスケールの大きなスペクタクルになっています。
 また、映画の中にこのようなセリフがあります。

 「1859年の二の舞になりますよ」

 これは、イタリア統一の歴史《その1》でご紹介したように1859年のイタリア統一戦争において同盟していたフランスのナポレオン3世の背信行為によりロンバルディアのみがイタリアに移り、ヴェネツィアがオーストリア領に残ったことを指します。イタリア側の恨みの深さが感じられます。

 最後に、イタリア統一の動きについて、その後の展開を簡単にご紹介します。

 オーストリアに宣戦布告したイタリアは、国王ヴィットーリオ・エマヌエル2世の軍とガリバルディの率いる義勇軍が動きます。映画でも描かれたクストーツァの戦いでイタリアはオーストリアに敗れますが、イタリア側が優勢に進めた戦いもありました。決定的だったのは、ケーニヒグレーツの戦いでプロイセンがオーストリアを破ったことです。休戦となり、ヴェネツィアはイタリアの手に移ります。
 ヴェネツィアを併合したイタリアにとって、残る大きな問題はイタリア中部のローマ教皇領でした。長く統一国家を持たなかったイタリアですが、歴史的にもその中心となっていたのはローマでした。しかしローマを中心とするローマ教皇領は教皇国家という形で存在しており、しかもそれを守護していたのはフランスでした。この時代もフランス軍が駐留し、イタリアへの併合を拒んでいました。
 しかし、1870年にプロイセンとフランスの間に普仏戦争が勃発すると、ローマに駐留していたフランス軍もプロイセンとの戦いのために移動しました。イタリアはこの機を逃さず教皇軍を攻撃して破り、ローマ教皇領を占領し、ローマ教皇領は消滅します。これによりイタリア人が自分たちの土地だと主張する領土はほぼ確保され、イタリアの統一は達成されました。首都もローマに移ります。統一国家となったイタリアはこの後工業化を進め、ヨーロッパの先進国の一つとして海外進出に乗り出していくことになります。
 一方、ヴェネツィアと隣接するトリエステと南チロルはイタリア系住民が多く住む地域ですがオーストリア領に残され、「未回収のイタリア」と呼ばれることになります。この問題が解決するのは、40年余り後の第一次世界大戦後のことになります。
 また、教皇領を奪われたローマ教皇は自らを「バチカンの囚われ人」と称してイタリア王国と断交します。この敵対関係は1929年のラテラノ協約でバチカン市国が独立するまで続きます。