「ベルファスト」

アイルランド
ベルファストの「平和の壁」(プロテスタント地域とカトリック地域を隔てている壁) Duke Human Rights Center - https://www.flickr.com/photos/rightsatduke/4687293001/, CC 表示 2.0, リンクによる

 イギリスの監督兼俳優のケネス・ブラナーは北アイルランドのベルファスト出身です。1969年8月に北アイルランド紛争が本格化した時にブラナーは9歳であり、紛争を直接体験しています。
 アイルランドは、イギリスからの独立戦争と内戦を経て1949年にアイルランド共和国として完全独立を達成しています。一方、イギリス領にとどまることを選択した北アイルランドでは、多数派のプロテスタントにより少数派のカトリックが差別的な扱いを受けたことから対立が続いていました。
 ケネス・ブラナーは映画「ベルファスト」において、少年の目を通して故郷と家族へのあふれるばかりの愛情とともに紛争の現実をリアルに描きました。

オレンジ色がイギリス、緑色がアイルランド共和国

 イギリスと激しく戦った独立戦争の休戦条約である英愛条約の締結を経て1922年にアイルランド自由国が誕生します。独自の二院制の議会と政府を認められてはいますが、あくまでイギリス帝国の一部である自治領です。イギリス国王に忠誠を誓い、国王代理である総督が駐在します。

 自由国内では、北アイルランドの分離と自治領であることを受け入れる英愛条約支持派が多数派となり、1923年4月に「クマン・ナ・ゲール」という政党を結成して与党となります。現在のアイルランド共和国の二大政党の一つである「統一アイルランド党(フィナ・ゲール)」の前身となる党です。党首のコスグレーヴが自由国の首相となります。コスグレーヴ政権は1932年までの10年間に渡って発足したばかりのアイルランド自由国の運営を担います。独立戦争から内戦へと続く武力闘争の末に誕生した国ですが、発足後は1922年に制定した憲法に基づき複数政党制による議会制民主主義を定着させます。国力の充実を図り、内政と外交、貿易などで実質的な支配権を確立するとともにイギリス帝国内での地位の向上を目指します。しかし経済的には依然としてイギリスに従属したままです。イギリスから工業製品を輸入してアイルランドの農産物を輸出するという関係からは脱却できません。また、社会ではカトリック教会が強い影響力を保持していました。
 1923年には、国際連盟に加盟します。1930年には国際連盟の非常任理事国に立候補して当選しています。

 アイルランド内戦において自由国政府と戦ったエイモン・デ・ヴァレラは内戦で多くの同志を失いましたが、内戦の終了後も完全な共和制国家を目指して活動を続けます。1926年4月には「共和党(フィアナ・フォイル)」という政党を結成します。この党は現在でもアイルランド共和国の二大政党の一つです。デ・ヴァレラは徹底した共和主義者であり、野党の立場から自由国政府に抵抗を続けますが、次第に穏健な姿勢をとるようになります。

  1929年にアメリカで勃発した大恐慌は世界各地に影響が及んで世界恐慌となります。1930年代にはアイルランドにも波及し、国内の失業率が急増するなど経済的な苦境に陥ります。これにより与党のクマン・ナ・ゲールへの支持が下がります。1932年3月の選挙においては野党であった共和党(フィアナ・フォイル)が大勝して政権を獲得し、デ・ヴァレラが首相に就任します。デ・ヴァレラは1948年に下野するまで16年間政権を担当し、この間イギリスへの従属からの解放と完全な独立を目指しました。内政では世界恐慌への対策として農民の救済を図るとともに、保護貿易を採用して国内産業の育成に努めました。

エイモン・デ・ヴァレラ首相

 ヨーロッパではドイツ、イタリアなど世界恐慌による社会の混乱からファシズムが台頭する国家がありましたが、アイルランド自由国では民主主義が揺らぐことはありませんでした。

 第一次世界大戦の際にイギリスがイギリス連邦の自治領(アイルランドの他、カナダ、オーストラリア、南アフリカなど)に協力を求めたこともあり、大戦後は各自治領の発言権が強まり、地位の向上を求めます。それに対しイギリスは、各自治領にある程度の独立性を持たせることにより支配権の維持を図ります。その結果、1931年12月にイギリス議会がウェストミンスター憲章を制定してイギリス連邦が成立します。各自治領はイギリス本国と同じ権利を持ち、相互に独立して連邦を構成することになりました。これは1929年に勃発した世界恐慌を受けて、イギリス連邦内に共通市場を作って協力し合うブロック経済の動きとも連動しています。
 アイルランド自由国もイギリス連邦を構成する自治領の一つとなり、外交権も獲得してイギリスと対等な主権国家となります。しかし、イギリス国王を国家元首とすることは変わりなく、完全に独立した主権国家とは言えません。

 1937年には、1922年に制定した自由国憲法に替わる新しい憲法を制定します。憲法の条文から国王に関する記述を除去します。これにより君主制を否定して共和制に移行し、事実上イギリスからの独立を達成します。イギリス国王の代理である総督を廃止して大統領制を採用します。国民の直接選挙で選出される大統領が国家元首となりました。ただし、イギリス連邦にはとどまりました。
 あわせて国名も改称して独自性を強めます。ゲール語(アイルランド語)でアイルランドを指す「エール」となります。
 なお、北アイルランドが実態上イギリス領にとどまっているにもかかわらず、この憲法では国土は北アイルランドも含むとしています。
 イギリスはこの新憲法制定の動きに反発しますが、当時は第二次世界大戦勃発の2年前にあたり、ナチス・ドイツやイタリアがファシズム国家として台頭して危機が高まっていた時期であり、アイルランドの独立を認めざるを得ませんでした。 

 1939年9月にドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発しますが、首相のデ・ヴァレラは直ちに中立を宣言します。イギリスがドイツの攻撃を受け、アイルランドはイギリスやアメリカからイギリス等の連合国側で参戦するよう強く求められますが拒否します。これは国内に根強い反英感情が残っていたことと、あくまで独立国家としての主体性を示そうとしたためと思われます。国民も中立を支持し、アイルランドは一貫して中立を守りました。ただし、イギリスに様々な情報を提供するなどの協力はしています。また、アイルランドから多くの志願兵がイギリス軍に参加しています。

 第二次世界大戦が終わった後の1948年の選挙で長期政権を続けていたフィアナ・フォイルが敗れ、デ・ヴァレラは政権の座から降ります。自由国発足後に最初に政権を担ったクマン・ナ・ゲールは、1933年に他の小党と合併してフィナ・ゲール (統一アイルランド党)になっており、そのフィナ・ゲールを中心とする連立政権が誕生します。
 1949年4月、エールは国号を正式に「アイルランド共和国」とします。イギリスとの関係を断って完全な主権国家となります。ケルト人が主体となり、カトリックが多数派を占める国民国家です。イギリス連邦からも離脱しますが、その後もイギリス連邦の各国との友好関係は維持します。
 なお国名は現在も正式には「エール」ですが、公称として国際連合やEUには「アイルランド」として登録されており、「アイルランド共和国」と呼ぶのが一般的です。

 この頃のアイルランドは依然として貧しい農業国であり、国内に十分な職がないため若者たちの国外流出が続いていました。名実ともに共和国となったアイルランドは、貧困から脱却するために農業を主体とする産業構造の転換を図り、工業化を進めます。それまでの閉鎖的な経済政策を転換し、自由貿易による市場開放と経済成長を目指します。

 第二次世界大戦後に誕生した国際連合には当初から加盟を希望しますが、認められたのは10年後の1955年になります。これは第二次世界大戦中に連合国側の参戦の要望に反して中立を維持したことが影響したようです。加盟が認められた後は、国連平和維持活動(PKO)等に積極的に参加しています。
 軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)には加盟せずに独自路線を歩みます。

 経済面では、ヨーロッパでは1967年にEC(ヨーロッパ共同体)が発足していますが、アイルランドは1973年のECの第一次拡大の際にイギリス、デンマークとともに加盟が認められています。この背景には、イギリスが加盟を希望しながら、フランスのド・ゴール大統領の強い反対等によりこの時まで加盟が認められず、経済的にイギリスと非常に強い関係にあったアイルランドの加盟も見送られていたようです。
 アイルランドは1960~1970年代にはECからの経済開発資金や外資の導入により、次第に経済成長を実現させます。その後EU(ヨーロッパ連合)にも参加し、EUの統一通貨であるユーロには当初から参加しています。これらにより、貿易の相手もイギリスだけでなく多角化されるようになります。

 アイルランドが独立を達成した後、最大の課題となったのが北アイルランド問題です。 

緑色がアイルランド自由国、ピンク色が北アイルランド(イギリスの一部)

 通常「北アイルランド」と呼ばれているのはアイルランド島北部のアルスター地方9州のうち6州を指します。連合王国であるイギリス(正式名称はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国)の4つの国の一つです。中心都市はベルファストです。
 アイルランド自由国が発足した時に、北アイルランドの議会はアイルランド自由国からの離脱を表明してイギリス領にとどまりました。独自の政府と議会を持ち、ある程度の自治は認められました。イギリス領にとどまった背景としては、アイルランド自由国の人口の大半がカトリック系であるのに対し、北アイルランドの人口の大半はイギリスからの植民者の子孫でプロテスタント系でした。経済的にもイギリスに属している方が有利と考える人が多くいました。

 北アイルランドでは、多数派であるプロテスタント系住民が議会や政府を独占して実権を握りました。経済的にも富裕層はプロテスタントでした。一方、少数派であるカトリック系住民は、様々な分野で不利な扱いを受けます。参政権では、プロテスタントには一人2票以上の票があるのに対して、カトリックには投票権がなかったり、プロテスタントに有利な選挙区割りが行われるなど、多数派に有利な選挙システムでした。また、少数派のカトリック系の住民は、公営住宅の割り当てをはじめ住居や就職、福祉や教育など生活の上でも厳しく差別されました。制度的に、また社会・経済活動においても差別が定着し、カトリック系住民は貧困層が多くを占めました。
 カトリックの人々は、宗教の自由などの基本的な人権や政治、経済活動の平等を求めて抵抗します。

 1960年代にはアメリカでの黒人による公民権運動をはじめ、世界各地で既存の体制に抵抗する運動が活発化します。アメリカでは1964年に公民権法が制定され、法的な人種差別が撤廃されますが、これらの動きの影響を受けて、北アイルランドでも1960年代後半よりカトリック系住民による公民権運動が高揚します。
 1967年初めに「北アイルランド公民権協会」が設立され、カトリックを含むすべての市民について基本的な権利の平等と自由を求める活動を展開します。一人一票の普通選挙や公平な選挙区割りなどの参政権の平等や、雇用をはじめ各分野での差別の撤廃を求めます。1968年には、北アイルランドの第二の都市であるロンドンデリーにおいて「デリー住宅供給委員会」が創設され、公営住宅の割り当てをめぐる差別の撤廃を要求します。ベルファストでも学生を中心に普通選挙を求める運動が起きます。これらの動きは権利の平等を求めるもので、集会やデモ行進など非暴力的に行われましたが、活動が活発になるにつれてプロテスタントの強硬派が反発して妨害を行います。
 また、カトリック教徒のデモが活発化すると、これが体制の転覆を目指す危険な企てとみなされるようになり、王立アイルランド警察が暴力的に鎮圧するようになります。1968年10月、カトリックの公民権活動家の行進を警察が弾圧して負傷者がでます。こうして情勢は次第に緊迫化し、社会不安が増加します

 あらためて整理しますと、北アイルランドではイングランド等からの移民にルーツをもつ人たちが多数派で、プロテスタントです。イギリスへの残留を望む人が多く、「ユニオニスト」と呼ばれます。その中で暴力の行使も厭わない過激なグループが「ロイヤリスト」と呼ばれます。武装集団としては「アルスター義勇軍」があります。
 それに対し、もともとアイルランドに土着の人々は少数派でありカトリックです。イギリスから分離して南側のアイルランド共和国と統一することを望む人も少なくなく、「ナショナリスト」と呼ばれます。その中の過激なグループが「リパブリカン」と呼ばれ、危険な存在とされます。その代表的な組織がIRA(アイルランド共和軍)です。IRAはイギリスからの独立戦争で中心的な役割を果たしましたが、内戦終了後は勢力が衰えて休眠状態でした。北アイルランドの情勢が緊迫する中でIRAが勢力を盛り返します。
 両勢力による流血を伴う衝突も起きるようになります。

 1969年に入り、1月にロンドンデリーのボグサイド地区で深刻な暴動が発生します。ボグサイド地区はカトリック系の住民の多い地域です。民衆が蜂起してバリケードなどが作られ、王立アイルランド警察と衝突します。
 こういった動きを受けて4月には、北アイルランドの議会がカトリック系住民も含めた成人の普通選挙の導入について可決します。これによってカトリック系住民の最も強い要求であった参政権の平等は達成されました。しかし暴力は沈静化せず、さらに激化します。
 1969年8月は、その後30年続くことになる北アイルランド紛争が本格化した時期です。それまでも断続的に暴力事件は発生していましたが、本格的な紛争はここからです。この月にIRA (アイルランド共和軍)は武装闘争を再開します。また、イギリス政府も介入せざるを得なくなり、治安維持のために軍を派遣します。
 カトリック系住民とプロテスタント系住民の対立は激化し、衝突が増加します。そしてIRAなどのカトリック系武装組織と、イギリス軍、北アイルランド警察やプロテスタント系武装組織が相争う抗争が続きます。
 この抗争が「北アイルランド紛争」です。背後には民族的、宗教的な対立とともに制度的な差別や経済的格差などの複雑な社会問題があります。

 事態が大きく動いた時期を、日を追って見ていきます。
 8月12日、ロンドンデリーのボグサイド地区でカトリック系住民が蜂起して警察と衝突します。住民は石や火炎瓶を投げて激しく戦います。14日にはイギリス陸軍も到着して介入します。闘争は三日間続き、「ボグサイドの戦い」と呼ばれます。カトリック系の北アイルランド公民権協会は、ロンドンデリーでの警察の行動に抗議するため、北アイルランド全土での抗議活動を呼びかけます。
 これを受けて他の地域でもカトリック系住民による活動が始まり、中には暴力に発展するものもあります。最も激しい衝突は、北アイルランド最大の都市であるベルファストで起きます。ベルファストのカトリック系住民は、14日に警察署の前で抗議行進を行い、武力闘争に発展します。プロテスタント系の武装集団であるロイヤリストがカトリック系住民の地区を襲撃して多くの家屋が焼失するなどします。当初は非暴力的な公民権運動だったものが暴力的な対立に変わっていきます。

 こうして1969年8月15日を迎えます。映画「ベルファスト」の物語はこの日に始まります。

2021年アイルランド・イギリス合作映画
監督 ケネス・プラナー
出演 ジュード・ヒル、カトリーナ・バルフ、ジェイミー・ドーナン、
   キアラン・ハインズ、ジュディ・リンチ
アカデミー賞 脚本賞受賞

 1969年、北アイルランドのベルファストです。この街で生まれた9歳の少年バディ(ジュード・ヒル)が主人公です。バディは、裕福ではないものの温かい家族と仲の良い友達に囲まれてのびのびと成長しています。バディの父親(ジェイミー・ドーナン)は大工です。ロンドンに出稼ぎに出ており、時々帰ってきます。母親(カトリーナ・バルフ)は厳しいですが愛情をもってバディとバディの兄を育てています。バディの祖父母(キアラン・ハインズ、ジュディ・デンチ)もやさしくしてくれます。近所の人たちは皆顔見知りです。
 バディは家族で映画を観たり、音楽を楽しんだり、通りで友達と遊んで充実した日々を過ごしています。学校ではキャサリンという女の子にほのかな恋心を抱き、隣の席になれるよう勉強を頑張ります。平穏な日々が続いていました。
 物語はこの年の8月15日から動き出します。バディはおもちゃの剣を持って、ゴミ箱の蓋を盾にして通りで遊んでいます。突然、一群の男たちが火炎瓶を手にして「カトリックは出ていけ」などと叫んで襲ってきます。プロテスタントの武装集団がカトリック教徒の家を襲撃に来たのでした。人々はあわてて家の中に逃げ込みます。バディが茫然としていると母親が助けに来ます。バディは何が起きたのかわからないまま兄といっしょに家の中でうずくまります。一台の車に火が放たれて爆発炎上し、それを母親がカーテンの隙間から覗き見ます。バディの一家はプロテスタントであるため襲撃は受けませんが、家族は大きく動揺します。その日から穏やかだった地域の日常は一変します。バリケードが築かれ、軍隊が警備にあたります。
 出稼ぎから帰って来た父親のところに武装集団の男たちが訪ねてきます。父親は仲間に加わるよう勧誘されますが断ります。バディの両親は家族の将来について考え始めます。父親は暴力から逃れるために他の都市への移住を考えますが、母親は長年なじんできた街を離れることには強い抵抗があります。

 北アイルランドのベルファスト北部の出身であるケネス・ブラナー監督の自伝的な作品です。自身の実際の体験を投影しており、強い説得力があります。物語はプラナーをモデルとした少年の目線で進行します。映画の冒頭では、街のあちらこちらからバディの名前を呼ぶ声がして、地域社会の親密さが感じられます。
 家族や故郷を温かく振り返っており、祖父母や両親、周囲の人たちとの触れ合いは愛情が満ち溢れています。日常生活を味わい深く描写しており、ノスタルジックな雰囲気で胸がいっぱいになります。

 物語は北アイルランド紛争の起点となる時期であり、地域が突然変貌する様がリアルに描かれます。住民生活は一変し、治安も乱れます。仲良く暮らしていた街が分断されます。子供たちが走り回っていた通りに暴力が繰り広げられ、子供たちも巻き込まれます。人間同士が対立する紛争や暴力のむなしさとともに、それでも前を向いて強く明るく生きていこうとする家族の姿が胸を打ちます。

北アイルランドにおけるベルファストの位置      
Karte: NordNordWest, Lizenz: Creative Commons by-sa-3.0 de, CC BY-SA 3.0 de, リンクによる

 様々な人々の思いが交錯します。父親はプロテスタントですが紛争を嫌います。家族の将来、子供たちへの悪影響を考えて、早くベルファストを離れることを主張します。母親は未知の世界に足を踏み出す覚悟ができません。祖父母は慣れ親しんできた街を出ることは考えられません。家族は難しい決断を迫られますが、互いを思いやる気持ちはゆらぎません。この映画の一番の見どころはここでしょう。

ベルファストの空撮写真(2004年)
By Fattonyni – Own work, CC BY-SA 4.0, Link
ベルファストのスプリングマーティン・ロード沿いの平和の壁
By Ross, CC BY-SA 2.0, Link 

 映画の冒頭は、現在のベルファストの港湾地域や造船所の空撮から入ります。ここはカラー映像ですが、すぐにモノクロに変わって1969年8月15日と表示されます。この後の本編はモノクロですが、美しくかつ力強い映像です。
 映画でも描かれていますが、暴動が起きた後、急きょバリケードや壁が造られます。これはプロテスタントとカトリックの暴力的な衝突を最小限に抑えるためのものです。しかし壁の存在によって紛争が日常生活の一部になってしまったことが実感されます。なお、この時期に造られた壁は現在も残っており、ピースライン(平和の壁)と呼ばれて観光名所になっています。
 終幕は深い余韻を残します。旅立つ者と残る者、未来への希望、さびしさ、哀しさが入り混じって心に染みます。

2011年のロンドンでのケネス・ブラナー
By Melinda Seckington, CC BY 2.0, Link

 ケネス・ブラナー監督は演劇や映画など多方面で活躍しています。シェークスピア俳優として数多くの舞台で主役を務め、演出も行ってきました。映画に進出して1989年の「ヘンリー五世」で斬新な脚色と演出を行い、アカデミー賞の監督賞と主演男優賞にノミネートされました。2017年の「オリエント急行殺人事件」以来、アガサ・クリスティー原作のミステリー映画のシリーズで監督を務め、主人公の名探偵ポワロ役も演じています。この「ベルファスト」では出演はしていませんが、監督と脚本を担当しています。この映画はアカデミー賞の7部門にノミネートされ、ケネス・ブラナーが脚本賞を受賞しています。

 主人公バディを演じたのはジュード・ヒルという少年です。自然な無邪気さと微笑ましい振る舞いで、ケネス・ブラナーの故郷への思いを表現した好演です。この後、同じくブラナー監督の「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」(2023年)にも出演し、謎めいた少年の役を演じています。

 バディの父親と母親は喧嘩をしながらも信頼し合っており、揺るぎない絆で結ばれています。父親を演じたのはジェイミー・ドーナンです。家族と離れてロンドンに出稼ぎに行っていますが、紛争を嫌い、家族を守ろうとする頼もしい父親でもあります。この俳優も「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」に出演し、「ベルファスト」と同様にジュード・ヒルが演じる少年の父親を演じています。精神が不安定な医師の役です。

 母親を演じたのはカトリーナ・バルフです。税金の支払いなど家計のやりくりに苦労しながらも、愛情いっぱいに子供たちを育てる魅力的な母親です。タイムスリップを描いたTVドラマシリーズ「アウトランダー」の主人公クレア役で有名ですが、映画「フォードvsフェラーリ」(2019年ジェームズ・マンゴールド監督)ではクリスチャン・ベール演じる破天荒なレーサーの妻の役を演じています。夫を支え、情熱を分かち合う姿が印象的です。

カトリーナ・バルフ
By Kevin Payravi – Own work, CC BY-SA 4.0, Link
キアラン・ハインズ
WelcomeScreenUK – YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=GOFmdArwYbw – アーカイブについては archive.org 又は archive.today 参照。, CC 表示 3.0, リンクによる

 ユーモアを交えた辛口の人生哲学を語る祖父と何もかも包み込むような懐の深さを感じさせる祖母も忘れがたい存在です。祖父を演じたのはキアラン・ハインズです。この人自身もベルファスト出身で、映画やテレビで幅広く活躍しています。祖母を演じたのは、舞台と映画で数々の賞に輝く名女優ジュディ・デンチです。二人が若い家族を激励する姿は涙を誘います。祖父母を演じた二人がアカデミー賞の助演賞にノミネートされました。
 祖父と祖母、父と母がダンスを踊り、それをバディが見つめる場面があります。家族の愛がスクリーンにあふれています。
 音楽のヴァン・モリスンはベルファスト出身のミュージシャンです。多くの音楽関係者の尊敬を集め、1993年にはロックの殿堂入りをしています。この映画でも、モノクロの画面にマッチした気持ちのいい音楽を提供しています。

ジュディ・デンチ
By File:Judi Dench at the BAFTAs 2007 (cropped).jpg: Caroline Bonarde Ucci at https://www.flickr.com/photos/caroline_bonarde/derivative work: Georgfotoart – This file was derived from: Judi Dench at the BAFTAs 2007 (cropped).jpg, CC BY 3.0, Link

 この「ベルファスト」には心に残るセリフがたくさん登場します。特にバディの祖父は数々の名言を残しています。

「愛の底には憐憫がある。」

「人が何かを学ぶには胸の高まりが必要だ。」

「皆故郷を捨てる。長すぎる犠牲は心を石に変える。」

 バディが算数の問題について、「正解は一つでしょ?」と問うと、祖父は言います。

「答えが一つなら紛争は起きない。」

 バディは、もしイングランドに移住すれば自分のアイルランド訛りの英語では通じないのでは、と心配します。それに対して祖父はこう言います。

「わからないのは聞こうとしないからだ。」

バディの母親は移住について自分の姉に相談します。母親の姉がしみじみと言います。

「アイルランド人は根っからの旅人よ。そのおかげで世界中にパブができた。残された私たちに必要なものは、電話とギネスとダニーボーイ。」

 パブはアイルランドの人々の交流の場であり、日常生活に密着したものです。パブで最も愛されているのがギネスビールです。アイルランド発祥の黒ビールで、アイルランドの誇りとも言われます。香ばしい香りとコクのある味わいが特徴で、世界中で飲まれています。
 ダニーボーイとは、「ロンドンデリーの歌」として知られるアイルランド民謡の旋律に歌詞をつけたもので、これも世界中で知られている名曲です。映画では「ファミリー・ビジネス」(1989年シドニー・ルメット監督)の中で使われています。ニューヨークの三世代の泥棒一家の物語で、アイルランド系アメリカ人の祖父をショーン・コネリー、父親をダスティン・ホフマン、息子をマシュー・ブロデリックが演じています。劇中の葬儀の場面でダニーボーイが歌われます。

 バディが思いを寄せるキャサリンの家がカトリックであることから、バディはカトリックとも結婚できるかを父親に尋ねます。父親は答えがバディを安心させます。

「ヒンドゥー教であれ、バプテスト派であれ、優しくてお互いを尊重する人ならば大歓迎だ。」

 物語の中で登場人物の一人が亡くなりますが、埋葬に際して牧師が言います。

「彼がいないくなったことを悲しむのではなく、彼がこの世に存在したことを感謝しましょう。」

 この映画にはバディが愛したものが次々と画面に登場します。
 バディが家族で映画館に行ったり、テレビで映画やドラマを観る場面があります。バディが目を輝かせて観ている様子が微笑ましく、生活の中のエンターテインメントが家族との素晴らしい思い出になっています。いずれもケネス・ブラナー自身が少年時代に親しんでいたものと思われます。

 バディは家族と映画館で「チキチキバンバン」(1968年ケン・ヒューズ監督)を見ます。007シリーズの小説で有名なイアン・フレミングが書いた童話を映画化した夢があふれるファンタジーの大作です。古いレース用自動車を改修して作った魔法の車に乗って旅に出るという奇想天外な冒険物語です。テーマ曲も有名です。車が崖から空を飛ぶ場面が有名ですが、「ベルファスト」でもこの場面で観客が一斉に身をかがめるのが面白いです。

映画「チキチキバンバン」に登場するレース用自動車
By Martin Pettitt – https://www.flickr.com/photos/mdpettitt/5003936244/, CC BY 2.0, Link
映画「恐竜100万年」のポスター

 「恐竜100万年」(1966年ドン・チャフィ監督)は石器時代の人間と凶暴な恐竜を描いた映画です。翼竜のプテラノドンはじめ様々な恐竜が登場しますが、当時の最先端の特殊視覚効果を駆使して、まるで恐竜が生きているかのように登場して観客を驚かせました。「ベルファスト」の中でバディが観ているのは、草食のトリケラトプスと肉食のケラトサウスルの戦いの場面です。人類が言語を持たない時代ですが、部族間の争いもあります。当時の人気セクシー女優だったラクウェル・ウェルチがビキニのような衣装で登場するのを見て、バディはドキドキしています。

 テレビドラマシリーズの「宇宙大作戦」のオープニングの場面も登場します。「宇宙、それは最後のフロンティア」という有名なセリフです。これは1966年~1969年に放映された「スタートレック」の最初のシリーズになります。「スタートレック」は23世紀を舞台に宇宙船エンタープライズ号とその乗組員たちの活躍を描いたSFドラマの金字塔で、何度も映画化されています。勇敢なリーダーであるカーク船長や、論理を重んじる独特の個性の持ち主ミスター・スポックなどの人気キャラクターも生まれました。

「スタートレック」のカーク船長(右)とミスター・スポック(左)
「サンダーバード」のおもちゃ
By Pat boen – Own work, CC BY-SA 4.0, Link

 人形劇によるSFテレビドラマの「サンダーバード」も出てきます。元宇宙飛行士とその息子たちが国際救助隊を組織して活躍します。人形の独特の表情や超音速ロケット機などのメカの描写が人気を呼びました。1965年~1966年の放映ですが、その後何度か劇場版も制作されています。

 バディはテレビで上映する西部劇を夢中で観ています。映画「リバティ・バランスを射った男」(1962年)を観る場面があります。アイルランド系であるジョン・フオード監督の作品です。西部開拓が終焉に向かう時代を詩情豊かに描いた異色の西部劇です。ジョン・ウェインとジェームズ・スチュワートが出演しています。

映画「真昼の決闘」のゲイリー・クーパー

 バディは映画「真昼の決闘」(1952年フレッド・ジンネマン監督)も観ています。西部劇という枠を超えたヒューマンドラマの傑作です。保安官を演じたゲイリー・クーパーとその妻を演じたグレース・ケリーが主演で、クーパーはアカデミー賞の主演男優賞を受賞しています。二人が町を去るかとどまるかを議論している場面が出てきますが、まさにバディの両親の悩みを投影したかのようです。

映画「真昼の決闘」のグレイス・ケリー

 バディは「真昼の決闘」のクライマックスの決闘に向かう場面をかたずをのんで観ています。また、「ベルファスト」の中でバディの父親が暴徒と対決する場面がありますが、ここで「真昼の決闘」のテーマ曲である「ハイ・ヌーン」が流れます。この曲は、アカデミー賞の歌曲賞受賞曲の中でも屈指の名曲と言われています。バディの父親への思いがにじみます。なお、この映画は物語の中の時間と上映時間が一致していることでも有名です。
 また、「ベルファスト」には武装集団の一人としてビリー・クラントンという男が登場します。この名前は1881年にアリゾナ州のトゥームストーンで実際にあった有名な事件に登場するギャングの名前です。保安官ワイアット・アープらとクラントン兄弟の間で行われた銃撃戦である「OK牧場の決闘」です。バディにとって武装集団の男たちが悪者に見えたことを反映しているのでしょう。「荒野の決闘」(1946年ジョン・フオード監督)や「OK牧場の決闘」(1957年ジョン・スタージェス監督)などこの事件を取り上げた西部劇映画は多数あります。 

 「クリスマス・キャロル」の舞台鑑賞の場面もあります。これはイギリスの文豪チャールズ・ディケンズの同名小説を劇化したもので、世界的に人気があります。クリスマスの日に守銭奴である商人のところに過去、現在、未来の精霊が訪れ、不思議な体験を通して冷酷な商人が心を改める物語です。映画化も繰り返し行われています。

 映画やドラマの場面ではモノクロからカラーに切り替わるのが印象的です。少年の眼に映った夢のような世界であったことを反映していますが、紛争で暗転した現実の生活との対比も鮮明になっています。各作品のオリジナリティを尊重したものでもあるようです。

「ベルファスト」の中には映像は出てきませんが、バディが「七人の愚連隊」(1964年ゴードン・ダグラス監督)という映画を観に行きたいと言う場面があります。フランク・シナトラが主演で、1920年代のシカゴを舞台にしたミュージカル・コメディ映画です。
 バディの祖母が若い時に観た「失はれた地平線」という映画をなつかしむ場面があります。1937年のフランク・キャプラ監督によるSF映画の古典とも言うべき作品です。祖母のセリフの中にある「シャングリラ」とは、この映画に登場する理想郷のことです。

 バディの一家がクリスマスを祝う場面があります。楽しそうな家族の様子に思わず笑みがこぼれます。プレゼントもたくさんあります。バディは国際救助隊のコスチュームをつけてサンダーバード1号のおもちゃで遊ぶ場面もあります。007シリーズのジェームズ・ボンドの愛車アストンマーティンのおもちゃもあります。007シリーズの映画は、この年(1969年)の12月に第6作「女王陛下の007」(ピーター・ハント監督)が公開されたばかりです。2代目ボンドのジョージ・レーゼンビーが出演した作品です。
 ミステリーの女王アガサ・クリスティの小説「ハロウィン・パーティー」の本もあります。バディの母親か兄へのプレゼントでしょうか。この年の12月に発行されたばかりのクリスティの最新作です。名探偵ポワロがパーティーの最中に起きた殺人事件の謎を追います。なお、ケネス・ブラナー監督は2023年にこの小説を映画化し、監督と主役を務めています。日本では「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」というタイトルで公開されました。
 「マイティ・ソー」のコミックもあります。アメリカの出版社マーベル・コミックの生み出したスーパーヒーローの中でも人気の高いものです。ケネス・ブラナー監督は「ベルファスト」の10年前(2011年)にこのコミックの実写映画化をしています。邦題名も「マイティ・ソー」で、クリス・ヘムズワースとナタリー・ポートマンが出演しています。

「サンダーバード」に登場する国際救助隊の人形
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 それでは、映画「ベルファスト」が描いた時期以降の北アイルランド紛争の推移を見ていきましょう。

 1969年8月以降、紛争が本格化します。アイルランドの全島統一をめして闘争の再開を宣言したIRA(アイルランド共和軍)は、以降は武力闘争を行わない方針の正統派と武闘派である暫定派に分裂し、その後は暫定派IRAがテロ活動を活発化させます。

 1972年1月、ロンドンデリーにおいて南北アイルランドの統一を求めてデモ行進を行っていたカトリック系市民に対してイギリス軍が発砲し、市民13人が死亡する事件が起きます。「血の日曜日事件」と呼ばれます。(イギリスとの独立戦争中の1920年11月に起きた「血の日曜日事件」とは別の事件です。)

ロンドンデリーにある「血の日曜日事件」を伝える壁画
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 1973年3月、イギリスはついに北アイルランドの議会を閉鎖して自治を停止します。北アイルランド担当大臣を主務としてイギリス本国による直接統治を開始します。しかし武力紛争はさらに続き、北アイルランド情勢は混迷を極めます。暫定派IRAをはじめとするカトリック系の過激派は、北アイルランドのみならずロンドンなどのイギリス本国にも対象を広げて爆弾テロなどを実行し、世界を震撼させる事態となります。プロテスタント系の過激派もテロで応酬し、悲惨な殺戮が続くという泥沼状態になります。一連の紛争は30年近く続き、死者は3500人にも及びました。
 北アイルランドでは紛争により社会は著しく混乱し、経済も低迷しましたが、イギリス各地やアイルランド共和国でも社会に大きな影響がでました。

ギルフォードパブ爆破事件の現場となった建物
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 1974年にはギルフォードパブ爆破事件が起きています。ロンドンの南西にあるサリー州のギルフォードという町で2軒のパブが暫定派IRAにより爆破されて死傷者がでました。イギリス軍の関係者が出入りしている店でしたが、多数の市民が巻き込まれました。4人の若者とその関係者が逮捕され、有罪判決を受けて服役しますが、後に事件とは無関係であることが証明されます。イギリス司法上の汚点とされる冤罪事件です。

ギルフォードパブ爆破事件を伝えるプレート
By Murgatroyd49Own work, CC BY-SA 4.0, Link

 イギリス政府は1972年7月以来、闘争活動により投獄された武装組織のメンバーは特別待遇とし、政治犯と同様に囚人服の着用や懲役を免除することとしていました。しかし1976年にこの特別措置が廃止されます。1980年、投獄された暫定派IRAの囚人たちが政治犯としての待遇を求めてハンガーストライキを行いますが、イギリスは要求を拒否します。メンバーの一人であるボビー・サンズという人物が獄中から議会の補選に立候補して当選しますが、その後もストライキを続行します。この人物をはじめとする暫定派IRAの囚人たち10人がハンガーストライキにより獄中で餓死するという事件が起きます。
 その後もイギリス政府は暫定派IRAに対する対決姿勢を維持しました。特に1980年代のサッチャー政権の下で厳しい取り締まりが行われ、暫定派IRAによるサッチャー首相の暗殺失敗などもありました。 

ボビー・サンズの墓(ベルファストのミルタウン墓地)
By FDW777 – Own work, CC BY-SA 4.0, Link

 1990年代に入り、東西冷戦の終焉などの情勢の変化を受けて和平に向けた動きが始まり、事態は徐々に好転します。1997年5月、イギリスで労働党のブレア政権が成立してこの問題の解決に熱心に取り組みます。1998年4月10日、ようやく紛争の決着と和平の実現を図るアイルランド和平合意(ベルファスト合意)が成立します。これによりアイルランド共和国政府は北アイルランドの領有権を放棄し、北アイルランドの帰属は住民の多数意志によって決定されることが定められます。
 プロテスタントとカトリックは互いの文化や歴史を尊重することとされます。立法府として北アイルランド議会が復活します。自治政府が設置され、プロテスタントとカトリックの双方の代表が参加します。重要な意思決定はプロテスタントとカトリックの両方で過半数を獲得しないと可決できない仕組みが導入され、少数派であるカトリックの意志も反映できることとなりました。
 私的な軍事組織も武装解除するこことされます。暫定派IRAの武装解除には時間を要しましたが、2005年に完了しています。
 和平合意を実現に導いた功績により、北アイルランドの二人の政治家がノーベル平和賞を授与されています。イギリスとの統一の維持を主張するアルスター統一党(UUP)の党首デヴィッド・トリンブルと、アイルランド共和国との統一を支持していた社会民主党(SDLP)の党首ジョン・ヒュームです。いずれも自陣営の中に強い異論がある中で、ねばり強く調整を続けて合意を達成したことが高く評価されました。

 北アイルランド紛争は、その激しさから国際的な注目を浴び、これを舞台とした映画はいくつも作られていますのでご紹介します。
 まず1993年の「父の祈りを」(ジム・シェリダン監督)です。1974年の「ギルフォードパブ爆破事件」を取り上げています。無実の罪で投獄された若者と、その協力者として有罪判決を受けた父親の再審への長い戦いを描いたヒューマンドラマです。若者と父親の絆の強さが心に残ります。ベルリン国際映画祭の最高賞である金熊賞を受賞しています。アカデミー賞の主演男優賞を3回受賞しているダニエル・デイ・ルイスが主演です。

 2002年の「ブラディ・サンデー」(ポール・グリーングラス監督)もベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞しています。1972年に南北アイルランドの統一を求める市民のデモ行進に対してイギリス軍が発砲した「血の日曜日事件」を扱っています。グリーングラス監督は、後に「ボーン・スプレマシー」(2002年)などのサスペンス映画や「ユナイテッド93」などの事実に基づく傑作を撮りますが、この作品でもドキュメンタリータッチで事件の全貌を描いています。なお、この作品は日本では劇場未公開ですがDVDは発売されています。

 2008年の「HUNGER/ハンガー」(スティーヴ・マックーン監督)は、1981年に暫定派IRAの闘士が獄中でハンガーストライキを行った事件を取り上げています。中心人物であるボビー・サンズをマイケル・ファスベンダーが演じています。マックーン監督とファスベンダーは、アメリカの黒人奴隷の体験記に基づく「それでも夜は明ける」(2013年)でもコンビを組んでいます。

 それでは、北アイルランド紛争を背景としたラブ・サスペンスの傑作をご紹介します。

①映画「クライング・ゲーム」の概要

1992年イギリス映画
監督 ニール・ジョーダン
出演 スティーヴン・レイ、ジェイ・デヴィッドソン、フォレスト・ウィテカー、
   ミランダ・リチャードソン
アカデミー賞 脚本賞受賞

②映画「クライング・ゲーム」のあらすじ(ネタバレ無し)

 北アイルランドです。イギリス軍の黒人兵士ジョディ(フォレスト・ウィテカー)は、非番の時に移動遊園地で出会った女性ジュード(ミランダ・リチャードソン)に誘惑されて人目のつかない場所に連れて行かれますが、突然現れた男たちに拘束されます。ジュードと男たちは暫定派IRAのメンバーであり、イギリス軍に捕らえられて投獄されている仲間と人質交換をするための交渉材料としてイギリス兵を捕らえたのでした。
 ジョディは山奥のアジトに連れて行かれて縛られます。暫定派IRAのファーガス(スティーヴン・レイ)という男が監視役になります。ジョディとファーガスは二人きりで話をするうちに互いに友情を抱くようになります。ジョディはファーガスに「あんたは親切だ。それがあんたの性(さが)なのさ」と語り、サソリとカエルの寓話を語ります。生き延びられないかもしれないと悟ったジョディはファーガスに、自分が死んだらロンドンで暮らす恋人のディル(ジェィ・デヴィッドソン)を探して「愛していた」と伝えて欲しい、と頼みます。
 暫定派IRAの人質交換の要求が受け入れられなかったため、ファーガスはジョディを森に連れて行って殺すように命じられます。ジョディはファーガスを振り切って逃亡を図りますが、ファーガスは銃を撃つことができません。ファーガスはジョディを追いますが、ジョディは救出にやってきたイギリス軍の装甲車に轢かれて死んでしまいます。暫定派IRAのアジトもイギリス軍のヘリの襲撃で炎上します。
 かろうじて逃げ延びたファーガスはロンドンに渡り、偽名を使って職人として働きます。ファーガスはジョディとの約束を果たすためにジョディの恋人ディルを探し、美容室で働くディルを見つけます。ディルは夜はバーで歌っています。ファーガスはディルの不思議な魅力に惹かれていきます。

③映画「クライング・ゲーム」のあれこれ

 特異な魅力に満ちた美しい愛の物語です。サスペンス映画でもあり、北アイルランド紛争を扱った歴史映画でもあります。各国で大ヒットし、アカデミー賞でも6部門にノミネートされ、監督と脚本を務めたニール・ジョーダンが脚本賞を受賞しています。
 中盤にインパクトのある出来事があります。公開当時は観客の常識を破るような大きな驚きをもって迎えられました。この映画が制作されてから30年余りが経過し、現在では観客の価値観も変わっており、当時ほどセンセーショナルではないと思われますが、一級のサスペンス映画としてその面白さは色あせることがありません。全体を通して中だるみのないスリリングな展開で目が離せません。
 アカデミー賞を受賞した脚本が素晴らしく、奥深い人間ドラマになっています。果てしなく続く北アイルランド紛争を背景にしつつ、人と人の間に生まれる愛情と信頼を描いています。特殊な状況で出会ったジョディとファーガスの友情が作品全体を貫く核になっています。二人が会話を通して心を通わせ、IRAとイギリス軍という対立の構図を超えて友情が育まれていく過程が味わい深いです。互いに相容れない立場であるにもかかわらず、人間同士の心のふれあいによって抗争や対立などが意味を持たなくなります。
 舞台がロンドンに移ってからのファーガスとディルの出会い、そして徐々に惹かれ合っていく愛の駆け引きも魅力的です。

 人間の性(さが)が作品のテーマの一つになっています。性(さが)とは、生まれつきの性質、本性です。理屈では説明できない、逃れられない宿命です。性(さが)に関するサソリとカエルの寓話がとても効果的に使われています。この寓話は以下のとおりです。(Wikipediaからの引用)
 「ある時、サソリが川を渡ろうとして、カエルに渡してくれるよう頼んだ。カエルは『だめだ。君を背負ったところで僕は君に刺されて死んでしまう』と断った。サソリは言い返す。『何て理屈の通らない言い草だ。君が死んだら、俺まで溺れてしまうだろう』そう言われてカエルは納得し、サソリを背負って川を渡り始めた。ところが川の真ん中で、カエルは背中に痛みを感じ刺されたことを知った。『理屈だって!』サソリと共に沈みながら、カエルは叫ぶ。『理屈も何もないじゃないか!』するとサソリは言った。『分かってはいるけれどやめられない。それが俺の性(さが)なんだ…』」
 この寓話は、オーソン・ウェルズが監督と主演を務めた「アーカディン」(1955年)という映画からの引用です。記憶喪失の大富豪をめぐる奇抜なミステリー映画です。日本では劇場未公開ですが「秘められた過去/Mr.アーカディン」というタイトルでビデオが発売されています。

ニール・ジョーダン監督
David ShankboneFlickr, CC 表示 2.0, リンクによる
スティーヴン・レイ
フォレスト・ウィテカー
Gage Skidmore, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

 甘く切ない音楽が映像とマッチしてこの映画の魅力を高めています。ファースト・シーンで「男が女を愛する時」が物語全体を象徴するように流れます。ソウルシンガーのパーシー・スレッジのデビュー曲ですが、多くの歌手にカバーされている名曲です。1994年にはこの曲を主題歌として、映画のタイトルにもなった「男が女を愛する時」(ルイス・マンドーキ監督)が作られています。アンディ・ガルシアとメグ・ライアンが主演のラブ・ストーリーです。
 映画のタイトルにもなっている「ザ・クライング・ゲーム」は、ロックシンガーのデイヴ・ベリーが最初に歌いましたが、この映画ではボーイ・ジョージがカバーしたものが使われています。哀しさや切なさをたたえて、この映画の雰囲気にマッチしています。

 最後に、その後のアイルランドの様子を簡単に見ていきましょう。

 アイルランド共和国は、イギリスからの独立後も産業は零細な農民による農業が中心で、ヨーロッパでは最貧国と見なされていましたが、1990年代にはEUからの多額の援助金を活用したインフラ整備や、アメリカやヨーロッパ各国からの投資の増加により驚異的な経済成長を見せて「ケルトの虎」と呼ばれました。失業率も大幅に下がり、ヨーロッパの富裕国の一つにまでなります。長年にわたり移民を出し続けていたアイルランドは、東欧諸国からの移民を受け入れる側に変わります。
 現在もNATOには加盟していませんが、EUには引き続き加盟しています。